ふしぎなwitchcraft

評論はしないです。雑談。与太話。たびたび脱線するごくごく個人的なこと。

蘇える変態は喪服でダンスを踊る 星野源『アイデア』

「おはよう」と「さよなら」、そして日常はつづく

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「ラテン文化*1の流れそのものが、レンゲの花のようなもので、私にわかりますのは日本的情緒―たとえばスミレの花のようなものだけなのです」と岡は言う。

レンゲとスミレの優劣を云々するのではない。レンゲにはレンゲの咲き方があり、スミレにはスミレの佇まいがある。ただスミレになるべき種子は、ただスミレとして目一杯咲くよりほかないのである。

岡潔・森田真生編 『数学する人生』内の「新しい自愛の読者に宛てて 《森田真生》」より引用)*2

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)

 
いのちの車窓から

いのちの車窓から

 
蘇える変態

蘇える変態

 
働く男

働く男

 

 

星野源という男は、なんとも腹が立つ男である。

全身からチャームが発光し、今となってはキラキラしすぎて実像なんか見えてないんじゃないかと訝るほどである。

 

はじめて彼の歌を聴いたのは、ちょうど『ばかのうた』がリリースされたころ。それまでもちらちらSAKEROCKというバンド名は目にして音源も耳にしていたが、しっかりと聴いてはこなかった。ただ「えらい自虐的なタイトルやな」と手に取ってみると、これがまたなんとも暗い。

 いつかなにも 覚えていなくなるように

 今の気持ちも 忘れてしまうのかな きっと

 腐った身体だけを残して

 (『キッチン』より)

ヴィレヴァン*3でやたら取り上げられているとだけあって、なんとも文化系女子好みしそうな歌声とヴィジュアル。普通なら「こういうサブカルっぽいがウケたのね」で流してしまうところだが、しかしとてつもなく心惹かれる仄暗さ(記憶がずれているかもですが、ここらへんからバナナムーンGOLDの日村さんの誕生日企画が始まっていってたような)。

つづく『エピソード』は、『ばかのうた』の細野晴臣ソロのような歌唱から、後々彼が明言するようになったディアンジェロっぽい黒さを和風に折衷した聴き馴染みの良いポップスに仕上がっており、これにもまたやられ繰り返し聴いた。

 枯れてゆくまで 息切れるまで

 鼓動止まるまで 続けこの汗

 我は行くまで 幕降りるまで

 繰り返すまで ゆらゆらゆら

 (『湯気』より)

いってらっしゃいが 今日も言えなかったな

 帰ってこなかったら どうしよう 

 おはようが 今日も言えなかったから

 おかえりなさいは いつもの二倍よ

 (『布団』より)

決して歌がうまいとは言えないが、切実で、吐き出すような弾き語りに乗せたこうした言葉は、当時浮き沈みの激しかったわたしの心に寄り添ってくれるような気がして、当時iPodでのアルバムの再生回数は3ケタに届く勢いだった。はっぴいえんどナンバガ、と通ってきた人間にはこんなに恰好の音楽はなかったわけである。

ここからじわじわと人気が出始め、露出も増え始める。元々自身曰く「ワーカホリック」であったそうだから、雑誌の連載に役社業に、音楽活動とてんてこ舞いの日々であっただろう*4し、時間は前後するが化粧品のタイアップもこなしているので心労はただならぬものであったはず。そんな中での『Stranger』は全2作から考えれば狂気の沙汰しか思えないポップへの執念に全身から溺れるようで、一曲目である『化物』をタワーレコードで視聴した際はぞわりと鳥肌が皮膚に走ったのを今でも生々しく覚えている。

 今はこの声は届かず 未だ叶わぬ体中がもがく

 思い描くものになりたいと願えば

 地獄の底から次の僕が這いあがるぜ

 (『化物』より)

 夢の外へ連れてって 頭の中から世界へ

 見下ろす町を 歩きだせ

 (『夢の外へ』より) 

 どうせなら 嘘の話をしよう

 苦い結末でも笑いながら そう 作るものだろう

 どんなことも 消えない小さな痛みも

 雲の上で 笑って観られるように

 どうせなら作れ作れ

 目の前の景色を そうだろ

 (『フィルム』より)

 そして彼は『化物』を録り終えると、くも膜下出血で倒れるという歌詞になぞらえるような皮肉さえも感じるが、そこからは『蘇える変態』に書かれているような筆舌に尽くしがたいであろう苦難の闘病生活の末、世間の皆さんもご存知の復活劇を遂げる。夏帆との共演や園子温の映画(つまらない作品の多い中では比較的マシな部類であった同名タイトル作品)への出演と並行し、『地獄でなぜ悪い』『Crazy Crazy/桜の森』を発表。病床に臥して以降の彼の音楽性はおおよそここでがっしり地盤が固まっていっていったように思えるし、現実そうである。死の境界を本当に目の当たりにした人間だからこそ、ポップスとしての強度が築けたのだろう。表には出さないが、音楽の未来を背負っていこうという気負いがここからは尋常ではない。これまでも大量の音楽を摂取してきた彼だからこそ「ディアンジェロっぽさを目指してみました。てへ♡」なんて軽く舌を出してやってもまったく嫌味もなく、とにかく音楽に対し真摯で敬虔で謙虚。しかし、豪胆で遠慮がない。大衆向けにマニアックな部分をチューニングしていきながら、きちんとフェティッシュなところは残して、美味しさは損なわない。敬愛するクレイジーキャッツ桑田佳祐ユニコーンといった先達が持ち合わせてきた大衆性と遊び心も、この人はきちんと解している。『桜の森』の文学性なんかは実にエロティックな文学性が結構で、50年聴き継がれるようなクラシカルな装いが心憎い。ここ以降の彼の躍進が凄まじいのは、単にニッチなところに走らずきちんとJポップにしあげるだけでなく、時流もきちんと読んだ上で、思い浮かんだアイデアを試行錯誤し世間に向けて発信していく、提案するスタンスを常に保ってきたところが大きいのだろう。

 作りもので悪いか 目の前を染めて広がる

 動けない場所からいつか 明日を掴んで立つ

 (『地獄でなぜ悪い』より)

 お早う始めよう 一秒前は死んだ

 無常の世界で やりたいことはなんだ

 愛しいものは 雲の上さ

 意味も闇もない夢を見せて

 (『Crazy Crazy』より)

あの薄暗い居間でひっそり歌ってそうな弾き語りはどこへやら。さらりと方向転換に成功し、時流を捉えたポップソングスは瞬く間にヒット。もともと彼が兼ね備えていた人当たりの良さと、聴き馴染みのあるマイケル・ジャクソン系統のポップネスが炸裂する『SUN』はスマッシュヒット。まさか「ひ~む~ら近寄る~な~」というバナナマン日村への誕生日ソングが、こんなセンス抜群のディスコ歌謡に生まれ変わるとは予想できるはずもなく、ラジオリスナーは揃ってニタニタしていたと思う。自分もその一人だ。

 君の声を聞かせて

 雲を避け世界を照らすような

 君の声を聞かせて

 遠い所も 雨の中も

 すべては思い通り

 (『SUN』より)

しかし、この時期からわたしはこのヒットソングに現を抜かすと同時に、星野源という男に嫉妬心をぎらつあせるようになっていく。なんとこの男、売れだすとaikoから二階堂ふみの鞍替えしたのである。なんともふざけた話だ。恥を知れ恥を。信憑性とか内輪の事情とかどうでもいいけど、aikoのファンとしては見逃せぬ悪行。許すまじと憤怒したのも記憶に新しい(今は新垣結衣らしいじゃないですか、え?)。ここからわたしは星野源へのひねくれた歪んだ愛憎をたぎらせていくことになる(ひとり勝手に)。

というのも、近年は「人見知りであると宣言して始めるようなコミュニケーションは恥ずべきだ(だいぶ語弊のある書き方だが概ねこんな論旨だろう)」などと宣いやがっているのだ。あれだけサブカル女子(ヴィレヴァンに通ってそうな文科系女子)を露骨なくらいにターゲットにしていたのに。あんなに「いやいや、全然自分はモテてなんかいませんって」とかいってたじゃん。あなたあんだけ自虐とサブカル女子へのアピールで銭稼いで飯を食ってきたじゃない。仰ってること自体は身も蓋もない正論だが、「僕、ちょっとコミュ障なんすよね、えへへ」とはじまるコミュニケーションもあったっていいじゃないか。そもそもお前がそうなんじゃねえのか。「スタバで"グランデ"」と頼むだけで葛藤してはりましたやん。何もそんな真っ向から否定することないですやん。とここらで私は再び怒りをあらわにするのだが、ジェントルマンらしくは矛を収めておくとする。だって、いちどでなく二度も死にかけたお人の意見である。むげにできないもの。それがまた癪に障る。

そうやって腹を立て始めると「よく見たら全然カッコよくないもんね(でも、かわいいよ源ちゃん)」と複雑な感情になり、新垣結衣と共演という知らせをスマホで見たときは(特にガッキーに異性として惹かれたことはないのに)、本気でスマホを床に叩きつけるか思案した。テレビに出るといっちょまえにコメディアンのように振る舞ってるし、それがまたチャーミングでちょっと面白かったりするから、また「キーッ」と癇癪玉を暴発させ手元のハンカチを噛み締めることになる。こちらも中々か大変なのだよ。どうしてくれるのだ星野君。


星野源 - アイデア【Music Video】

 

と、一旦ここまでサゲたならもう当然のことながらあとは誉めまくらねばならない。誉めまくらないと多分どこかしらから怒られる。なので褒めちぎっていく。このまま未練たらしい女を演じるのもいやよあたし。本当は『恋』『Family Song』も振り返りたいが、変にサゲの方の筆が強まってしまったので、割愛させていただく(もうみんな散々聴いてるっしょ)。

まず、通して『アイデア』を一聴した感想は「なんてクレバーで味わい深い一曲なのか」というところ。出音でわくわくさせるというSAKEROCKの頃から一貫してきたあった推進力のある性急なビートに、『恋』『Family Song』『ドラえもん』というタイアップ職人としてのキャリアを生かしたパブリックイメージを逆手に取った複雑な構成。天下のNHK朝ドラ(『半分、青い』はつまんないけど)を自分の手品のトリックに使って見せる大胆さはもはや策士。.垢ぬけた「星野源印」という形容が通じそうな聞き覚えのある疾走感あふれるポップソングから一転、2番でSTUTSが奏でるビートと三浦大知の演出による踊り、という日本のエンターテイメントの最先端同士が聴覚と視覚で共鳴し交錯して、リリックもそれに合わせてフランク・オーシャンのように内省的になり、そのまま弾き語りに流れ込み、ブレイクを挟んで逆再生するような映像と優美なストリングスとが絡んで、うねりをあげてクライマックスのまま駆けていく。そのまま疾走感に乗せて、まんまと泣かされる。ずるい。

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ただ突拍子もないことをやるだけじゃなく、自身のディスコグラフィを統括した流れを6分ほどの楽曲・映像に詰め込む手腕には、肩に力が入っておらず微塵も暑苦しさを感じさせずクールだ。新しいところから、ミニマムあところへ落ち着くさまはダフト・パンク『RAM』のようであるが、今回は一曲でアレを成立させてしまっているので、数枚上手かもしれない。なんともすさまじい構成力(ドラムスがうちっこみっぽい音からラストでナマっぽい叩き方になっているのも実に結構)だ。映像があって初めて成立する、というのも昨今のポップスの潮流も大きく反映させながら、「虚構と現実とさらにその手前にある虚構」を提示してみせ、リスナーをクリエイションの奥深い森へ誘い込んでいく。しかし、これだけ複雑な入れ子構造でも、一曲としての求心力は少しも損なっていない。ハッキリ断言してしまうと、この新たに”提案”された『アイデア』はJポップを総括し、これから家事を取っていく星野源スタイルポップスの一つの到達点であるとみていい。毎回新作の度に「Jポップの基準・スタンダード」を上塗りしてきた男は一つも二つも違う。なによりも熱心なラジオヘビーリスナーであり、ピュアなミュージックフ・ファンであった男が、ここまで溢れんばかりのクリエイションへの愛情を恥ずかしげもなく漏らしているのは泣けるではないか。

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それに忘れてはならないのが、「湯気」「おはよう」「生活」「虚構」「ひとり/マイノリティ」「さよなら=死」といった上に挙げた歌詞にもひそめていた、星野源が頻繁に使用しているモチーフと生活へのやさしいまなざしがスパイスのようにちりばめられている、というところ。

 おはよう 世の中

 夢を連れて繰り返した 湯気には生活のメロディ

 独りで泣く声も 喉の下の叫び声も

 すべては笑われる景色

 つづく日々の道の先を 塞ぐ陰にアイデア

 雨の音で君と歌おう 音が止まる日まで

一度死にかけ復活するだけに飽き足らず、不死鳥の如く名前のとおりにスターとなった男・星野源が、もう一度自分の人生を回顧し、そしてまた通過儀礼として喪に服し、今度は自らまた生と死のはざまへ飛び込み、現実と虚構のまんなかで踊り狂い、聞き手の方へ手を差し伸べる。

エッセイ『働く男』でもフェイバリットに挙げていた『ブルース・ブラザーズ』のジョン・ベルーシダン・エイクロイドも、彼が影響を受けたイデビアン・クルーも、喪服を着て踊っているし、伊丹十三の好きな作品に『お葬式』を挙げるほどだから、決して彼が軽はずみに思いつきで「死の再現」をやっているのではないということは、聡いリスナーならとっくに承知済みであろう。あともっと古参のリスナーならば、一着しか持っていない喪服のスーツを着て、コンビニまで小踊りして買い出しに行っていた『そして生活はつづく』のエピソードなんかも思いだして、相好を崩すかもしれない*5。おふざけで死を演じてみせているわけではないのだ。

さて、公約通りここまで褒めちぎっておいてアレだが、やはり気に食わないところもあるのが正直なところ。今までは「いい曲だけど歌はそこまでだよね。味があるけど」とお茶を濁してこられた歌唱力も、きっと度重なるフェスやライヴ(休んでんの?)で鍛えられたのであろう、非常に高音域に伸びが出て『Family song』では、まるでアル・グリーンといえば大袈裟だが、聴いていて心地の良いソウルフルを醸し出しているのだ。なんともまたいけ好かないではないか。どうして可愛い上に色気まで兼ね備えちゃってんのよ。あざといよなあ。まったく。

 

星野源という才能は、チャーミングで複雑なゆえに、まったく癪に障るのである。

<『アイデア』を構築したであろうアイデアたち> 

アイデア

アイデア

  • provided courtesy of iTunes
DIVE!

DIVE!

  • provided courtesy of iTunes
大迷惑 (シングル・ヴァージョン)

大迷惑 (シングル・ヴァージョン)

  • provided courtesy of iTunes
Dear Theodosia (Reprise)

Dear Theodosia (Reprise)

  • チャンス・ザ・ラッパー & フランシス アンド ザ ライツ
  • ヒップホップ/ラップ
  • provided courtesy of iTunes
Uptown Funk (feat. Bruno Mars)

Uptown Funk (feat. Bruno Mars)

  • マーク・ロンソン
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes


The Blues Brothers (1980) - Everybody Needs Somebody to Love Scene (6/9) | Movieclips


Aretha Franklin - Think (feat. The Blues Brothers) - 1080p Full HD

www.youtube.com


三浦大知 (Daichi Miura) / Cry & Fight -Music Video- from "BEST" (2018/3/7 ON SALE)


STUTS - Sail Away feat. Alfred Beach Sandal (BLACK FILE exclusive MV “NEIGHBORHOOD”)


SAKEROCK / Emerald Music [Music Video & Best Album Trailer] サケロック / エメラルドミュージック

 

<おしまい>

*1:西欧文化とそのまま置き換えていい

*2:文脈を無視して「岡潔」をむやみに引用してしまうのはかなり危ういのですが、最近読んだこの箇所と星野さんの掲げる「イエロー・ミュージック」という折衷案がバチッとはまったので、切り取って引用させてもらいました。自分もかなり岡潔先生に刺激を受けた人間なので広く読まれてほしいと思う一方、岡潔はあくまで岡潔でしかなく、彼の言葉を一言一句(小林秀雄との対談で神風礼賛してしまってるところとかはわたしでも普通にドン引いたし)現代にトレスし、すべてを鵜呑みに心酔すると、エライ目を見ることになるので、森田先生の手により上手く編纂された『数学する人生(新潮社)』を手に取っていただき、あとがきまでキチンと読まれることを推奨します。近年稀に見る名著です。決して名文家でもないですが、不器用な語りで芭蕉や情緒について「わかる」感覚を明文化しようとするさまには心打たれました。

*3:この前何年かぶりに入店しましたが、ずいぶん凡庸なお店になっていたな、となんか妙なガッカリ感を覚えてしまいました

*4:サカナクション山口一郎、べボべ小出祐介、そしてハマオカモト、という4人で「サケノサカナ」復活させてくんないかなあ

*5:あと葬式といえば同じく『そして生活はつづく』にあった、葬式に早く着きすぎて喪服のまま汗だくでカレーを食って、参列した葬式で人の目も憚らず寿司をバクバク食った後に、性感マッサージを受けさらにラーメンまで平らげたという、おそらくは皆川猿時であろう俳優のエピソードがおそろしく最低でくだらなさすぎて大好きです