マイケル・ジャクソン症候群に陥らないために 星野源『そして生活はつづく』→『おげんさんといっしょ』
「あなた」と「わたし」でひとつにはなれない
(星野源『アイデア』についての稿で書き損じてたところを補う形での追記のような文章になります)
ひとりの集合体で集団や組織は形成される。どんなに結束力の強い手段でも、顔も、声も、考え方ひとつとっても全部違う。(中略)どんなに愛し合ってる男女も、ひとつになることは決してできない。どう頑張っても「ふたつ」もしくは「ふたり」だ。
本当に優秀な集団というのは、おそらく「ひとつでいることを持続させることができる」人たちよりも、「全員が違うことを考えながら持続できる」人たちのことを言うんじゃないだろうか。
(星野源『そして生活はつづく(文春文庫)』内「ひとりはつづく」より抜粋)
アーティストが肉声を絞り綴った回顧録であり、一曲でEPはおろかベストアルバムくらいの分量の情報を処理しきった、Jポップ史に残る(大袈裟でもなく)革新的な『アイデア』によって、星野源が以前から画策していたであろう歌謡界の碑石に名を刻む目論見は成功した。前回の稿にも記したように、彼は名実ともに、新たな日本歌謡界の新しい父親・母親になったわけである。
ただ、『アイデア』だけでは欠けているところがあったのではないか、と想像する。この曲を出すだけでは彼はまだ「ひとり」のままなのであって、ソロのツアーやフェスとは違う、もっと手軽なところで爆発的に広く音楽を共有する場が必要であった。彼が好きだったラジオでは、ラジペディアに続いて、不定期の放送を経てオールナイトニッポンのレギュラーの座を得たが、ラジオはあくまでニッチ(もちろんそれがいいのだけれども)なメディアである。
ここからはよりわたしの空想が混じることになるが、星野源は「ひと」があつまっても「ひとつ」にはなれない、という諦観と共に、「ひとり」であることに対し、奥底で恐怖を抱いていたはずである。というのも、彼はマイケル・ジャクソンを敬愛していることを度々公言し、頻繁にMJのエッセンスを自分の楽曲群に忍ばせてきたが、自身がスター街道をつっぱしていくにつれ、「マイケル・ジャクソン症候群*1」に陥るかもしれない酷く恐れていたはずなのだ*2。
上にも引用した『そして生活はつづく』に、幼少から慕ってきたスターの訃報に触れ、このようなことを書いている。
「うわーひとりじゃなかった」と思う日が、来たりするのだろうか。
(中略)
今日、マイケル・ジャクソンが亡くなった。
そのことを知ったときに異常にショックを受けてしまい、有名人の死で初めて涙が出た。なぜそこまで好きだったのかというと、もちろん歌や踊りが素晴らしいという部分もあるけど、あんなにたくさんの人から愛されているのにもかかわらず、生涯を通して、とても孤独そうな人だったからだ。
死ぬ間際、彼はひとりだったのだろうか。それとも、そうではないと感じながら逝けたのだろうか。小さい頃から、埼玉県の片田舎で勝手にシンパシーを感じていた私は、そこが気になって仕方がない。
あと少しで死んでしまうというとき、走馬灯のように人生を振り返って「ああ、ひとりじゃなかったんだ」と思えたら、きっとすごく幸せなんだろう。けどもし自分がひとりでないなら、なるべく早めに気づきたいとも思う。
いつかくるかもしれないし、死ぬまでこないかもしれないその日まで、私はいつものようにひとりきりでいるだろう。
あのテレビで「どぉもぉ~ほぉしのげんでぇぇぇすぅ!」と手をパーに広げフリフリしているお姿とはとても被りそうにない、なんとも寂しい文章であるが、まあこれは2018年から約10年ほど昔に書かれた文章だし、『ばかのうた』も発売されていない頃であるから、当然といえば当然である。自分が「ひとりじゃなかった」と今わの際に思うために、彼は暗い自分とは真逆のアクションを起こして自分の殻を破っていった。とてもわたしにはマネできそうにない*3。
しかし、それだけではまだ足りない。足りないから、音楽を作るための装置としてのバンドとはまた異なる新たな「家族」をこしらえなくてはならなかったのだと思う。
そしてようやく『おげんさんといっしょ』。SNS上でもとんでもない盛り上がりを見せ、紅白歌合戦よりも瞬間最高視聴率を取ってたのではないだろうか*4。
おげんさんといっしょ、ここしばらくのテレビでの藤井隆の扱いに不満だったわたしも大満足のポテンシャルを活かしまくったナンダカンダ最高でした
— 黑松茶荘 南京街店 (@PONKOTSUforever) 2018年8月20日
星野源、宮野真守の目の前で「時代が違えば笑っていいともに出てた」とまでベタ誉めしてたし、雅マモルをどうしてもおげんさんでやりたかったんだろうなぁhttps://t.co/iN45Xi95AS
— 黑松茶荘 南京街店 (@PONKOTSUforever) 2018年8月20日
おげんさんといっしょでMPCをポコポコやってた青年は誰なんだ。という方はこの素晴らしくグルーヴィな動画を見ていただきたいものです(STUTSくん、星野源に呼ばれるとは出世したね)https://t.co/URdOeRY3rH
— 黑松茶荘 南京街店 (@PONKOTSUforever) 2018年8月20日
彼にとっては気心の知れる友達程度の人々が、フラッとアットホームな雰囲気のスタジオに現れるコンセプトらしいが、メンツを見ると、まるで星野源が数十年前から日本のエンターテイメントの中心核にいたか(実際これからそうなっていきそうだが)のようである。2017年の放送には旧知の仲である細野晴臣が参加。ミュージカル界から高畑充希。ラジオで「この人は地代が違えば『笑っていいとも』でレギュラーにいた人」とまでベタ褒めした宮野真守には、以前から星野源お気に入りの「雅マモル」なるキャラクターで視聴者を沸かせた*5。ラジオでも取り上げていた庭師の三浦大知は、MVでのコラボの延長で、ミニマルな空間でのダンスパフォーマンスを披露。少ないカメラの動きにより、シンプルな踊りという表現の魅力が伝わる実によくできたプロモーションであった。
何よりも、最高だったのが『逃げ恥』からの縁でANN*6でも共演していた藤井隆による『ナンダカンダ』*7。おそらくは星野源もそうだっただろうが、めちゃイケ世代(またはあらびき団ファン)としては、藤井隆がテレビであの瞳孔が開き切った所謂「ゾーン」に入った状態をフルで地上波のゴールデンタイムで見せられていないということに若干の不満があった*8。いくら、tofubeatsコラボによって改めて彼の潜在能力の高さを再確認したとはいっても、それは音楽に親しんでいる人々の間で起こったムーヴメントであって、まだまだ足りていない。あの『春琴抄』のようなサイコっぷり*9を地上波で目にかかりたい…そんなわたしのような人間の願いが叶ったかのような藤井隆・オンステージで思わず拍手してしまったのだ。夢のようにキラキラした時間でした*10。
最後の『アイデア』も、MVでの場面転換をどう表現するか、非常に気になるところだったが、実にクレバーで改めて今作が集大成であり野心作であることを知らしめられた。いくらでも遊び甲斐のある良いおもちゃを手にしたんじゃないでしょうか、星野さん。
初回もかなり実験的な番組で楽しませてもらったが、第2回はよりパワーアップし、各演者の長所を存分に引き出した、実に素晴らしい構成でした。
巷では『友だち幻想』という本が話題となっているらしく(自分も拝読させていただきました)、広く読み直されている機会を得たようである。SNS疲れという言葉も目にすることもしばしばで、「ひとつ」になることへの抵抗が可視化されてきているのだろう。そういった「ひとり」であることへの漠然とした不安感を星野源はうまい具合に察知しすくいあげている気がする。決してノスタルジックな「あの頃は良かった」という手垢のついたテレビバラエティの手法にのめりこむことなく、自分があくまでコンポーザーとして茶の間の中心にちょこんと居座り、テレビの前の「ひとり」を窮屈な幻想から解き放つ本物のテレビマジックは、きっと「ひとり」でああった画面の中のマイケル・ジャクソンに焦がれてきた、根っからのテレビっ子であった彼が一番やりたかったことなのであろう。元・テレビっ子のわたしは、そんな姿が見れて純粋にうれしいのである。
全員が違うことを考えていても、許容されるのが「家族」なのである。
『おげんさん』といっしょに、わたしたちの生活もつづいていく。
<追記>
星野源がモロにテクノをやってる楽曲とかあまりなかったな、とか思ったけど、彼が数少ないフィーチャリングで歌唱した宮内優里『読書』があった。
あと第三弾以降の『おげんさん』、是非ともtofubeats氏には出てほしいし、ハマケンとの共演とか向井秀徳とかでもいいし、男率高いからPerfumeなんか最適ではないでしょうか。山下達郎をNHKのあの時間帯に引っ張り出せたら大したもんだと思います。
tofubeats - ディスコの神様 feat.藤井隆(official MV)
<おしまい>
*1:急場でこしらえた造語です
*2:そもそも今でこそ「ニセ明」という名前で通っている、あの出オチ感の強いキャラクターも「ホシケルジャクソン」という、これまた出オチ感がプンプン漂う名前がついていたと記憶している
*3:だからってサブカル女子や「人見知り」をぶった斬っていいかというとそうじゃないとわたしは思いますよ。ハイ。
*4:星野源の女装がそこら辺の女性よりかわいくて困る。あんな人いるよね
*5:際どいデニム短パンでアイドルダンスを踊る宮野真守の横で小刻みにステップを踏む星野源と長岡亮介の息が妙に合っていて、悔しいがくすくす笑ってしまった
*6:カラオケ企画、超好き
*7:タマフルリスナー・スーパースケベタイムの名を思い出さずにはいられない
*9:動画サイトで検索したら多分ある
*10:ブンブン髪を振り回して完全にモードに入った藤井隆の呼吸に、瞬時に合わせて即興ミュージカルを展開させた鍵盤ハーモニカの石橋英子、やっぱりすごかった。前野健太『サクラ』も素敵なアルバムでした