ふしぎなwitchcraft

評論はしないです。雑談。与太話。たびたび脱線するごくごく個人的なこと。

2022.01.02

年が明けた。明けただけで、今日が昨日になり、明日が今日になり......という繰り返しの一部にすぎないのだ、とかっこつけてみるのは、どうも幼い頃から年末年始の足場が数センチ浮いたような雰囲気が好きではないからだ。コロナ禍のおかげで、親戚同士が集まり、四方八方から声をかけられ、酒で顔を赤らめた両親やその他親類の妙なテンションに疲れてくたびれることがなくなっても、やはりどうも好きになれない。

 

昨日は早朝から京都に祖父母の墓の掃除に出かけ、天下一品のこってりラーメンを食べ、かまぼこやらお雑煮やらローストビーフやらをつついてくたくたになったので、今日はぬくぬくと布団にくるまりながら、途中まで読んでほったらかしにしていた多和田葉子の『星に仄めかされて』を読み終えた。

神話の再構成と言うべきか。日本列島が文字通りなくなったところから始まる、神話の語り直し。著者の本に漏れなく当てはまることだが、言葉の連想ゲームが広げられ、脳みそが解きほぐされていく感覚が楽しい(おでん→オーディン)。パラレルな地球の姿を通して、現実の読者が直面する世界の諸問題を浮かび上がらせるシニカルなユーモアはクスリと笑え、ありきたりな比喩に頼らない、開拓者のような筆者の言語世界は星のように(なんと陳腐な比喩か)きらめいており、ぐいぐい読ませられる。毎度のことながらとても勉強になる。少しも身になっていないけれど。

人はなぜ物語を紡ぐのか。なぜ人は他者と話さなくてはならないのか。読み終えてから真っ先に手元の『古事記』をパラパラとめくった。神道的な世界観を軸足としながら、ナショナリズムに傾倒しないのはさすがである。

ただ、シリーズ二作目となる今作、クヌートの母と彼の知人の関係性や、父親の消息といった目を引く要素はあるものの、全体の展開は乏しいために、Hirukoが神話を通じて内面を吐きだしていく終盤以降の、怒涛の主要キャラ全員集合→唐突なダンス(身体の言語と音楽という言語がボーダーを越えるということは確かに素晴らしい)→いざ出航!という流れには、さすがに「ワンピースかよ!」とツッコミを入れてしまい、かなり白けてしまった。今作はいわば「故郷」を探すためのファンタジーな現代の英雄譚なので、ちまちました私の現実世界からの飛躍は許容されるべきなのだろうが、「偶然に出会って~」と強調されているわりには、偶然性を感じられず、「作者が意図したからわかりやすく多様性のある6人(あれ、何人だっけ?)が集まったのでは?」感はぬぐえない。

オペラ劇のような会話の勢いに飲まれ、一気に読み進められたが、全体的に会話やモノローグに焦点が当たりすぎていて、物語の場面が今ひとつつかみにくく、「これは今どういう場面で会話が進行しているのだろう?」「この語り手は今どんな景色を見ているのだろう?」という疑問がちらちら浮かび、視覚的に情景が浮かんでこなかったのも読みづらさの一因かもしれない。なので、アカッシュとノラがアウトバーンをかっ飛ばす描写が鮮やかで、夜の闇を線となり後ろへ飛び去っていく星々が視覚的に強烈な印象を残した。

バイクの免許、取ろうかな。今年はもっと旅に出よう。

そんなことを思った年始であった。

 

おしまい