ふしぎなwitchcraft

評論はしないです。雑談。与太話。たびたび脱線するごくごく個人的なこと。

鳥は死肉を啄み、ネズミは地を這う/『ザ・スーサイド・スクワッド』

ジェームズ・ガン監督最新作『THE SUICIDE SQUAD』日本公開が決定 邦題は『ザ・スーサイド・スクワッド “極“悪党、集結』 | SPICE  - エンタメ特化型情報メディア スパイス

大方のフィクションの主題には「逃げる」があると思います。巨大な組織から差し向けられた刺客からの逃走、家庭内暴力で壊れた家庭からの逃亡、さえない現実からの逃避……。私は「逃げる」ことには肯定的ですし、昨今は「逃げる」ことに対してポジティブな意見が多く見られるようになったと見受けられますが、それでも人によって、場合によっては、私たちが生きる現実で「逃げる」ことは卑怯と蔑まれたり、後ろ指を差されたりするかもしれない危険を孕んでいいます。だからこそなのか、「逃げる」という選択をする(または否応なくそのような袋小路に嵌りこむ)主人公を時としてわが身に置き換えながら見守ってしまうのは私だけではないと思うのです。

以下、ネタバレを含みますので、まだ鑑賞されてない方は是非とも鑑賞してから読んでいただきたいです。ネタバレが気にならなければ構わないです......


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 Everybody hurts

Take comfort in your friends

Everybody hurts

Don't throw your hand, oh no

(R.E.M 『Everybory Hurts』)

 The Suicide Squad has an unexpected Avengers Endgame connection

○誰も彼もが傷ついている

『ザ・スーサイド・スクワッド』の世界には、さまざまな形で「支配」が絡み合っています。強権的な父(または男そのもの)、子どもの人生を我がもののように扱う母、暴力で国の中枢を掌握する軍事政権、帝国・アメリカ。

そしてこの映画の登場人物たちは(キングシャークのようないわばマスコットもいるのですべてというわけではないですけど)、「支配」の抑圧に人格をゆがめられたり、生活が破綻したりするなど、多かれ少なかれトラウマを抱え、傷ついています。武器の名手であるブラッドスポートは屈強な見た目にもかかわらず、殺し屋に育て上げようとした父親に植え付けられた恐怖によって、今も小さいネズミに怯えつづけています。ポルカドットマンは、「子供をヒーローにする」という夢想に取り憑かれた母親に、水玉模様のカラフルな斑点が身体に浮き出る特異体質に変えられてしまった結果、彼から見る世界は常に自分を苦しめた母親に囲まれています。ピースメーカーは父親の教育のせいか(ここは深く単独ドラマで掘り下げられるっぽい)アメリカという国家に忠誠を誓うあまりに個人の正義を国家の大義と置き換えることに何の躊躇も抱かなくなるほどの暴力に呪われた人間になっています。常に周囲を翻弄し、戦況ごとひっくり返すほどの無軌道さで一見自由な存在に見えるハーレイ・クインも、表層ばかりを見て女をトロフィーのように扱う愚かな男たちへの怒りに満ち、男から吹きあがる汚い血しぶきが花びらに姿を変えるほど。

ここでおもしろいのはラットキャッチャー2で、彼女は唯一この映画の例外として、ネズミと意思疎通し操る特殊な装置と共に父の愛を受けていて、親からのトラウマを与えられていません(もちろん貧しい父を冷遇した社会への悲しみは抱いているでしょうが)。

そんな彼らが「逃げる」という手段を強制的に遮断され、刑期と自由を引き換えに戦場へと向かい命を晒し、右も左もわからない地で、コロコロと変わる命令に振り回されながら、否応なしに自分の中に巣食うトラウマと立ち向かわなくてはならなくなります。

 

○鳥と監獄

映画のオープニング。マイケル・ルーカー演じるサバントは刑務所に迷い込んだ小鳥を殺します。しかしその後彼は監獄から出てあえなく戦地で死亡。彼の死肉をまた別の鳥が啄みにくるという、何とも皮肉なオチによってこのキャラクターの生涯は閉じられます(死にざまの詳細は書きませんがジェームズ・ガンの前作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.2』で観客の涙を誘う勇姿を見せたマイケル・ルーカーが情けない叫び声をあげ逝くシーンは笑っちゃいけないと思いつつ、不謹慎にもつい声を出して笑ってしまいました。『ガーディアンズ』では無法者だったのが、今作では一番常識のある人だったというのも笑えます)。

この鳥というモチーフが指し示すのは、月並みではありますが重力に縛られることのない、他者からの干渉・抑圧を受けない「自由」だと読みました(もちろん今回の映画の制作に至る発端となったTwitterであろうことも容易に見て取れますが)。劇中で登場する中南米軍事国家の首領が(どこからどのようなルートで仕入れてきたのか)色とりどりの鳥を飼っているという設定で、再びこのモチーフが登場します。

しかし、監獄に迷い込んだものにしても、ロマンティシズムに酔いしれた傲慢な為政者が飼うものにしても、重力からの束縛から解放された鳥といえども、檻に閉じ込められればその象徴する自由はいとも容易く奪われてしまいます。

 

○落下、重力

また、先ほどの滑空しまた羽ばたく鳥もそうなのですが、本作には「落下」をはじめとした上下運動が深く印象に残りました。

スーサイド・スクワッドの部隊はミッションを遂行する中南米の国家に潜入するために、海に落とされ、そこから陸へ上がっていきます。そして林を抜け、途中いくつかの寄り道を経て、ヨトゥンヘイムという名を冠した塔に登ります(私の大好きなピクシーズの楽曲がかかる、とっておきの名シーンでもある、塔へ突入するシーンでも雨が降り注ぎます)。部隊は塔の中で秘密裏に実験されていた「スターフィッシュ計画」を阻止すべく爆薬をしかけますが、そこでいくつかのトラブルと偶然が重なって、塔の崩壊に巻き込まれ、瞬く間に落下していきます。

この落下のイメージには、様々な形で罪を負い、傷ついた者たちが再び高みに登ろうとしても、下へ働く重力によって地面に再び振り落とされてしまう、彼ら自身に付きまとうこの世の不条理に見えました。

 

○這い上がるネズミ、ヒトデの涙

崩壊したヨトゥンヘイムから出て暴れ出す怪獣”スターロ大王”というのは、さきの「スターフィッシュ計画」の根幹をなす、ヒトデの形をした巨大な生き物であり、肢の間から大量の小型の人出を放ち、他の生物に寄生し、自身の意志を媒介する声明を増殖してしまうかなり厄介なもの。ここにも小型のヒトデが人々に向かって降り注ぐ際に「落下」というモチーフがあります。無差別に降下して人々の顔に貼りつき「支配」してしまう上から下へのイメージも妙にリアリティがあり、おもしろい絵面ながらも不気味です。

閉じ込められていた(スターロ自身も間抜けな北米人の身勝手なふるまいによって宇宙から誘拐され「支配」されてきた被害者だったのです)塔から出て、街を蹂躙するスターロ大王。元はといえばアメリカが招いた惨状でもあるので、アメリカの忠実な僕でもあり、スーサイド・スクワッドの親玉であるアマンダ・ウォーラーは部隊に撤退するよう命令を下します。

ですが、何の罪もない人々まで巻き込んだ惨禍をみすみす見逃すことはできず、ブラッドスポートたち生き残ったスーサイド・スクワッドの面々は、ウォーラーの制止を振り切り、脳に埋め込まれた爆弾がいつ爆発するかわからないにもかかわらず、受動的に命令を待つだけの存在から、能動的に人々を救う存在へと覚醒し、「支配」を断ち切ります。「逃げる」という命令に背いて、ここでようやく能動的に立ち向かうという選択を取るのです(先に述べたハーレイ・クインは、目的のためなら子どもでも容赦なく殺すという発言が契機となり、求婚してきた大統領をあえなく射殺しますが、これは彼女が元々トラウマを克服している自立したキャラクターであるからでしょう)。

ポルカドットマンははじめて自分の意志で、かつて自信を苦しめ続ける母の幻影を破壊し、母親の身勝手で結果的になりそこないの存在だった彼が初めてヒーローとして自覚が持てるようになることでトラウマを克服するのですが、あえなく死亡し、スターロ大王の肢を破壊するにとどまります(十分に凄いし、おそらく普通に今作で一番強い能力)。

さて、この大暴れするスターロ大王、いったいどうするのということで、ここで活躍するのがラットキャッチャー2。このキャラが他と大きく違うのは、上に書いたように父の愛をその一身に受け、地の底を這うネズミと意志を交わすことができるということです。そんな彼女がネズミの大群を差し向けることで、巨大なヒトデに一矢報いるのです。

「落下」という上下運動はここでまたかなり効いてきます。これまで高みから上から下へと向いていた「支配」のベクトルに対し、下から上へと向かう力が対抗するわけです。重力に縛られ、地の底で蠢き、不当なレッテルを貼られ汚いものとして蔑まれやすいネズミも懸命に生きている。そんな「ただ生きている」存在の力強さ、尊さが、この命が軽く吹き飛ぶ不条理な世界観でより一層鮮やかに際立って見えました。

斃れたスターロ大王の巨大な瞳から出る水には、長い間「支配」され続けてきたものの哀しみがあり、この呪縛から解き放つのが不自由を強いられたネズミであり、「ただ生きている」尊い生きものたちと意思を交わすことができるラットキャッチャー2でもあるというのが実にロジカルで、何よりも胸を打つ爽快な結末だと思いました。そして何よりも、世の中からは耳出した者たちへのジェームズ・ガンの優しく温かいまなざしを感じることができました。

 

○ところで

今作がディズニーのガン監督解雇騒動から始まったことから、ディズニー=ネズミとも読めるわけですが、ブラッドスポートやハーレイ・クイン、ラットキャッチャー2の地雷となるのが子供(弱き人々)であることも、近年のディズニーが抱える問題への強い皮肉があるのかもしれません。

○終わりに

と、うだうだ考察にもつかない文章をダラダラ書いてみましたが、本作はこんなことを一切考えなくても、むちゃくちゃ楽しめる映画ですので、是非ともまだ未見の方はご覧あれ。

 

おしまい