雑記4(ルイボスティーとかハイコンテクストな日本語とか)

ハーブティー20パックが100円程度で買える国なので、ここぞとばかりにルイボスティーを買い占め、毎日5パックペースで消費している。おかげで、肌の調子がすこぶるいい。

と、書きだし、なんだこの気色悪い始まりは、と筆を折ろうかと迷ったが、事実は事実なので致し方無し。誰も得をしない美肌化。まあもともとそんな肌とか荒れないんですが…………

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5カ月密着でその程度かよ、という気持ちはなくもなかったが、齋藤飛鳥というこの世に馴染むことができなかった天使が、乃木坂という場所で居心地よさそうに佇んでいる姿は、ただただ美しかった。大江健三郎中上健次伊藤計劃を手に取っている背伸び感もいじらしい。なんか背表紙がカッコイイというだけで三島由紀夫金閣寺』を選んだ中学二年生の自分のようだ。女の子が1人で何かをする、という光景も別段珍しくもなくなった中で、スレている感じも可愛い。そんな齋藤さんももう20歳なのだ。『乃木坂ってどこ?』時代から見ていて、最初から決して優遇されていたわけではない彼女が1人の魅力的な女性として、羽化していく様を見るのはなんだか切なく、これが親心または兄弟心か、などと気持ち悪いことを考えていたら、その日の夜に、延々と齋藤さんと瀬戸内海を臨んでドライブする夢を見たので、目覚めたことを激しく公開してしまった(気持ち悪ッ)。

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坂元裕二『anone』、完全に『カルテット』以降の系譜の作品に仕上がってて、思ってた以上にやり放題で、安心した。へヴィーなヤツを想定していたので。主題歌ないんだろうな、無いんだろうな、と思ってたら、本当になかったので、びっくりした。そして、ボロボロに泣いてしまった。あまりに報われない。瑛太が久しぶりに、つるんとした肌で出ていたので、この人こんな男前だったのか、と再確認。広瀬すず平手友梨奈さんが共鳴し合う世界線に思いを馳せる。

『アンナチュラル』が良くできた法医学ミステリで感心した。あまりのこの手のヤツは上手くいっているのを見たことがないだのが、オリジナル脚本でここまでやるとは、野木亜紀子は本物だ。あと『電影少女』もいい感じです。あれにも清水尋也くんが出ていますね。

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2018年の目標(どうせ3カ月もすれば忘れる)に、「読書量を全盛期に戻す」「アニメをもう少しちゃんと追う」という半端なモノを掲げたので、公約通りに『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でリハビリを。『たまこラブストーリー』『ガールズ&パンツァー』『SHIROBAKO』 『聲の形』とこれまで確実な仕事ぶりを見せてきてくれた安心と信頼の吉田玲子先生だから、これ以降の展開には心配はしていないのですが、現段階だとちょっと引きが弱かったのかな、という印象は否めず。ただちょっと説明が多めになってたのも、それは京アニの作画力を信頼した上でのものなのかもしれない。というか、シンプルに絵の力だけでここまで見せられるというのは驚嘆するばかりだ。劇判もよく、ずっとドラマチックな感じかと思いきや、ヴァイオレットの感情に合わせ、音がフッと消えたりするので、上手いなと感心した。判断は保留したいところなのだが、自動手記人形のお姉さんの衣装が安っぽい方のセクシー方面だったので、アレは納得する説明を今後してほしい。そういえば山田尚子さんの『リズと青い鳥』もすごく待ちわびておりますよ。

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ポプテピピック』すごくお金がかかって、おもしろいことを真剣に最大ふざけながらやってる姿勢に、『おそ松さん』が辿り着けなかった境地を見た。ハチャメチャなパンクとしか形容できない、このアニメを語る語彙力のなさ。ただ、同じものを2回やる手口は第1話だけで良かったようにも思うのだが、もう少し見守ろうとは思う。「滑り芸」をどこまでやり通せるかが気になる。『恋は雨上がりのように』はもうOPから泣きそうになるくらい思い入れがある作品なので、シャツの匂いを嗅ぐシーンで胸が苦しくなりました。アレを「オッサンの妄想」みたいに貶す人の想像力のなさに愕然とする。理解されない恋心もあるし、そこには年齢も性差もないはずなのに馬鹿だよなあ、ああいう人。Aimerの曲が素晴らしく、編曲に玉井健二とクレジットされていて「やっぱり!!」とガッツポーズしてしまった。無性にTomato n'Pineが聴きたくなる。ことあるごとに聴き直しているが、未だにこのグループの『PS4U』を凌駕するポップアルバムに出会えていないのは正直なところだ。

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PS4U

PS4U

 

友人が「日本人の『ヤバい』という言葉の意味合いの広さには戸惑う。便利だけど」と笑いながら云うので、最近は「マジ卍」という言葉も生まれたことを教え、混乱している表情を見て、ニヤニヤする。そして「マジ卍」という言葉の意味合いから、日本語がいかにハイコンテクストか、みたいな話になり、そんなことで1時間ぐらい盛り上がった。感情を感情のまま言語化できている言語なんてほかいないのでは、みたいな話に行き着き、ピザの配達で中断。こんな白熱するとは。日本の都会のJK(といっても一部なんだろう実のところ)、恐るべし。

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最近はけやき坂の丹生明里さんの「いつもポツンと参考書片手にバスを待っている、自分だけが気になっているあの子」感がたまらなくツボです。いつか朝ドラに出そうな雰囲気がある。あと影山優佳さんが日々可愛くなられていて、困っております。握手会でお見かけしたときから、可憐さには一目置いていたのですが。

この前の紅白の欅坂について書いたブログの通りのことが起きたようで、平手友梨奈さんが全治一カ月の負傷をされたそうだ。

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こんな状態がいつ起きてもおかしくはないはずだったので、むしろ武道館に今回立てなかったことは不幸中の幸いだったように思う。もちろん、彼女たちが悔しい気持ちを抱いていることはわかっているのだが、もうずっとボロボロのまま、ステージにいつまで経てるかのチキンレース状態だったので、どこかで一区切りする必要があったのだ。ゆっくり休んで、万全のまま欅坂46平手友梨奈として新たにステージに立ってほしい。切なる一人のファンの願いである。前田敦子の二の舞はごめんだ。残酷ショーでしか、ポテンシャルを引き出せないと信じているような根性論信仰は彼女たちだけで終わらせて良かったのだ。ひらがなけやき坂は飛躍の年になるはずなので、必然的にとんでもない試練が訪れてしまった感じもする。でも、彼女たちならやれそうな確信もあるので、めちゃくちゃ応援したい。

 

今回の雑記はこの辺で。

 

おしまい

拒絶された世界で呼吸しながら物語るには(坂元裕二『anone』第1話)

誰かのために、おとぎ話を「物語ること」は私を守ってくれるのだろうか

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子供ではなくなって、「あのね」と何かを打ち明けるとき、それは語りかける誰かへ心を許している証か、もしくは認めてもらおうと相手の心の領域に一歩踏み込む勇気を振り絞るサインでもあるかもしれない。でも、子供だった頃はたしかにもっと無邪気だった。

「あのね、今日ね…………」

給水塔がロケットのように見えたこと、公園で生っていたさくらんぼ、大きくなったり縮んだりする影。何かを見つけると、そうやって母親にまるで自分だけの発見のように教えていたものだ。

電車に乗っていると、母親に連れられた子供が「ねえねえ、あのね、さっきね」と話しかける光景をよく見かける。こうしたときの対応は大きく2パターンに分かれるだろう。幸福な場合は、「あら、そんなことがあったの」「うんうん、それで?」と子供に話を促してくれる、良き聞き手としての対応。だが、もちろん、各家庭には独自の育て方があり、親も常にニコニコしているわけではないので、「ちょっと電車の中だからあとでね」「静かにしてなさい」と話をストップされる不幸な事例もある。別に聞いてあげてもいい気もするのだが、子育てには常にストレスがつきものだし、親は親で世間の目を気にして、ナーバスになっていたりするのかもしれない。そうした母親を責めることはできない。

このような状況で、話を逐一真剣に聞いてあげるような親によって育った子供は、話好きになっていく傾向にあるように思える。当選の傾向だ。だが、話をあまり聞いてもらえなかった場合は、自分の中で完結するように、性急に大人になるように迫られ、あまり口数も多くはない人になっていくように思う。無論、環境だけが人の性格を左右するものではなく、自分は教育評論家でもないので、ここで決して教育論なぞを語るつもりは微塵もないのだが。

坂元裕二も、もしかするとこのどちらかの状況を思い浮かべ『anone』と題したドラマを描いたのかもしれない。

あのね

あのね

 

天使たちのシーン

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『Woman』で厳しい母子家庭シングルマザーの現実を生々しく切り取り、『最高の離婚』で夫婦の心のすれ違いと3.11を繋ぎ、『カルテット』ではスリリングな会話劇で毎週視聴者を揺さぶった、坂元裕二という脚本家は常に熱心なドラマ視聴者だけでなく、様々な方面のファンを獲得している。そんな彼が次にどんな作品を描くのだろうか、と期待されるのはごく自然なことだ。そして、発表された主演俳優が、『海街diary』『怒り』『ちはやふる』『三度目の殺人』と近年の傑作邦画に出演しては、事務所のゴリ押しでは決してないことが一目でわかるバツグンの演技力で、同世代の若手女優を突き放した広瀬すず。脇を固める俳優は田中裕子、阿部サダヲ小林聡美瑛太火野正平。演出には『Woman』の水田伸生。タイトルはローマ字で『anone』。わざわざ書くまでもないが、「1つ」という意味合いを持つ「an」「one」が潜んでいることは明白だ。もうここで既に坂元祐二マジックにかかってしまっているようだ。

あまりに名言botのようにありがたがられていて、どうやら誤解されているようだが、坂元裕二をトイレのカレンダーに書いてある安っぽい名言風のフレーズを量産している薄っぺらいコピーライターと同列で語られては困る。彼はあくまで脚本家という一人の「物語りの紡ぎ手」だ(こういうことを言うと鬱陶しがられるのだろうが)。そんな風潮が少々気に食わず、もっと毒を吐きたくなったが、グッとこらえるとして、確かに坂元裕二が放つセリフは『フリースタイルダンジョン』で呂布カルマが放つパンチラインの連続のようで、bot化したくなる気持ちもわからないでもない。

「この半年、死にたい、死にたい、ってそれしか考えてなかったんです」

「それって、死にたい、死にたい、って言っていないと生きられないからですよね。生きたいから、言うんですよね」

などという会話なんかは、現代の生きづらさに苦しむ我々ならば、誰もが共感してしまうキラーフレーズだ。

そんな視聴者の気持ちを汲み取ったのか、はたまたそんなSNSでの取り扱われ方にうんざりしたのか、序盤でスティーブ・ジョブズのコスプレのような胡散臭い医者を登場させ、持本舵(阿部サダヲ)にいともアッサリ軽々しく余命半年であることを言い放ち、愕然と肩を落とす彼に「自分ちょっと名言怖いんで」と言わせていたのは、彼なりのシニカルなのだろう。

(名言風の言葉をありがたがる若干悪意のある患者の描写も毒っけがあって、そこに気付くかどうかも試されているみたいだ)。

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『anone』の主人公ハリカ(広瀬すず)は、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』同様に「孤児」だ。いや、そもそも坂元裕二は「孤児」たちの群像劇を作り出してきていた。例えば、震災であったり、たわいもない家庭の亀裂だったり、様々な形で現実からはぐれてしまった「孤児」たちである。今作では、「孤児」という要素がリアルな貧困という形でハリカと密接に結び付くことになる。

「一晩1200円のネットカフェに住み始め今日でちょうど1年」

「シャワー室のお湯が出なくなったときは連絡しあうし」

「シャツのシミがいつ何を垂れ溢してできたものかお互いに知ってる」

「忘れ物をしたときは教えてくれる」

「もう長いことパジャマを着て寝たことがないのは3人とも同じ」

という端的な情報で、この世の片隅でひそかに暮らす「孤児」たちの、ささやかな温もりを丹念に描出している。現実の光が差し込まないファンタジー。この「孤児」たちの共鳴というのは『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』にも通じる(『最後のジェダイ』で物語は残念な方向性に転がっていったが)ようにも受け取れる。どこかの誰かの意図としか思えない巡り合わせで邂逅した「孤児」たちが、その場その場で問題に立ち向かい、決断していく物語。あそこでJJエイブラムスがやりたかった、なんとしてでも誰かと結びつこうとするも、理不尽に引き裂かれてしまう「孤児」たちの宿命、というのは『anone』第1話の構造と非常に似ているのではないだろうか。レイのように、ハリカは過去のおとぎ話以外、何も持たずに産み落とされ、穢れた世界との繋ぎ目に思えた、友達に近い二人の写真を消したスマホの画像フォルダには、陳腐でありきたりな夜景の写真しか残っていないのだ。

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今作では「孤児」という言葉は、ネガとポジで、過去と現在に、対に存在するパウル・クレーの『忘れっぽい天使』によって、「天使」という言葉に言い換えることが可能だ。『anone』はこの世で分断され世界に馴染むことができない天使たちのおとぎ話なのだ。ハリカは特殊清掃の現場で、死臭に満ちた空気を吸わないためにマスクをし、その名残のように、スマホゲームのアバターでもマスクをしている。青羽るい子(小林聡美)も、カレー屋「東印度会社」に入店する際にマスクをしていた。他には、半年の余命、貧困と孤独死、理不尽な左遷、上手く1錠ずつ取り出せないフリスク、無駄に明るいキッチン、最後の晩餐も決められない優柔不断さ、片方だけ脱げ落ちる靴、なんど両替機にツッコんでも帰ってくる万札、とありとあらゆる生きづらさが「天使」たちを囲んでいる。極めつけは、己を覆い隠し護る鎧のように、長く垂れ流されたハリカとカノンの黒い前髪。空気はあまりに穢れていて、それぞれが理不尽なレッテルをはられ、世界から拒絶され、同時に自ら拒絶しているようだ。

元を辿れば、物語というモノは孤独な「天使」たちを救済するためのものだったではないか。そう、これこそが坂元裕二が生粋のストーリーテラーである所以なのだ。

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異世界からの使者

閑話休題だが、『最高の離婚』などにも登場した猫は『anone』において、現実からおとぎ話の世界へ導いていく使者のように機能しているようだ。朝眠っている林田亜乃音(田中裕子)を鳴き声で起こし、ベットから落とし(ここで「落ちる」というイメージが使われているのはかなり意図的)、そのまま指輪が落ちた先に大量の偽札を見つけ、現実とずれた世界が姿を現す、半ば滑稽な異世界への導入。アリサが見つけた大量の万札の話をする際にも、ハリカは猫を抱えている。これは半ば村上春樹へのオマージュのようにも思えるのだが、真相やいかに。

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ハズレの赤とハリカの青

『フォースの覚醒』のレイがお気に入りの反乱軍(輝かしい過去の象徴)のヘルメットを大事に持っていたように、ハリカは常に「青」を抱いている。TwitterInstagramなどで、なんとなくそれっぽいポエムと共に、空や海の画像を上げているのを見かけることが多いが、青という色は、精神を安定させる作用があるのだろう。そんな色を常に身に纏い、一緒に自分を守る「おとぎ話」と共に、半ば無自覚に自分を慰め続けてきたハリカ。その「おとぎ話」というのは、自分が幼少期にいた森のおばあちゃんの家でのことである。

「ヘンな子、っていうのは誉め言葉なのよ」

「人はね、持って生まれたものがあるの」

「それは誰かに預けたり、変えられたりしちゃダメなの」

「あなたは少しヘンな子だけれど、それはあなたが"アタリ"だからよ」

クッキーのアタリ/ハズレに喩えた寓話をお守りのように胸にしまい、時にカノンに語りながら、自分を保ち続けてきたハリカ。しかし、風見鶏がささやきかけ、そのおとぎ話は早々に虚構だと暴かれてしまう。おばあちゃんの家は、虐待の絶えない更生施設で、「ハズレ」という名前は「ハリカ」という名前を奪う代わりに、魔女のごとき祖母に与えられた呪いの印字だったのだ。クッキーのおとぎ話で、「誰かに預けられたり変えられちゃダメ」と、偽の記憶のおばあちゃんが語ったのは、おそらく「名前」のことだろう*1

取り戻した本当の記憶の中での、カノンという少年の存在を思いだし、そこでの幼きハリカは赤色、カノンは青い服である。ネガの『忘れっぽい天使』のある幼少期で、色が逆転しているのだ。アバターの色がハリカ=赤、カノン=青、という逆転になっているのも見逃してはならない。たとえ、それがどんなツールであっても、人はどこかで裸になろうとして、無自覚に自分の色を示してしまうのかも。

そして今、現実のカノンは病室で、消えかかるような淡い青色の服を着て、「動物の病院」で外の世界を眺め続けるカノンこと紙野彦星。おとぎ話が否定されたことを告白するハリカに、「ハズレ」の正体に気付いていたことを打ち明けるカノン。

「"ハズレ"じゃない。君の名前は"ハズレ"じゃないよ、って」

「はい。私の名前は辻沢ハリカです」

奪われた「名前」を、取り戻すのはハリカではなく、カノンで、彼もかつて更生施設から手を繋いで脱走した、あの日の記憶を頼りに、現実をむしばむ病魔に抗い続け、呼吸し続けてきたのだ。彼もまた、おとぎ話に生かされた「孤児」だったのである。

しかし、彼らが会うことは許されない。結ばれない「天の川」に挟まれ、彦星と織姫のジレンマに、涙を流すことしかないのだ。

誰かがいるのに一人にされているこの状況。

欅坂46『キミガイナイ』ではないか。

カノンの過去は、ハリカの過去でもあったのだ。1点で強く結びつき、求め合いながら、近づくこともままならない不器用な「孤児」たち。

あまりに切実すぎて、苦しい孤独。報われない孤独。

「天使」たちはその忘れっぽさで、共鳴する世界線を見過ごしてしまったのかもしれない。

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ファンタジーが否定される世界で物語ることの意味

「なんで焼うどんのお店ではなくカレー屋にしたのか」という青羽の問いから、焼うどんというのが、「自分がもしも別の人生を歩んでいたら」というメタファーにもなっている。しかし、もちろん、焼うどんというのはあまりにニッチで、その願望すら淡いものであるのだ。そうやって取り戻すことのできない時間を後悔する持本。「あきらめは裏切らない」という言葉を聞いて、決心めいた表情の青羽のうどんの啜り方も、取り返しのつかない時間と格闘している姿のように見えてくる。ここまでいくと、流石に深読みのしすぎなのか、と思わなくもないのだが、それほどまで綿密に計算された舞台設計とセリフの応酬だ。生きることを諦めた2人が、一生のうちに使い切る時間の話をしているのもコミカルでばかげた話で可愛い。

これ以上、内容についてまだこの先の展開がどう転ぶかも予測できず、『カルテット』でこの先どのように展開するのかハラハラさせられた、SNS的ともいえる次を予測させるようなフックを意図的に避けているように感じた。ちょっと前の坂元裕二だったら『anone』も、毎話胃がキリキリする描写がモリモリ入っているであろうところを、『カルテット』を経過したおかげで、風格を損なわずに、表面上は見やすいライトな作劇にしており、彼のストーリー照りmmグモウ力の熟練度合いを窺わせる。カーチェイスと呼べるのかも怪しい場面でのドタバタは、端間から見れば滑稽の極みでめちゃくちゃ笑えて、間が抜けた会話劇と、繊細な心の機微を交互に描いて、見事な緊張と緩和も生んでいる。正直なところ、カレー屋と刑務所帰りのその後を臭わせるシーンを少し挿みこめば、十分に成立するくらいに完結しているのだ。毎週決まった曜日に、決まった時間で放送される、10話程度で成り立つ日本のドラマの作り方としては、異例なほどに挑戦的だ。しかも主題歌はなし。とことん攻めてる。日テレなのに。あまりにすべての問題を背負い込もうとしているので、その意気込みから野島伸司山田太一といった書き手たちの顔も浮かぶ。

演技面なら、広瀬すずの抑制のきいた涙と咳き込みであったり、小林聡美阿部サダヲの発声の奥ゆかしさなど、まだまだ切り取れる面は沢山あり、青と赤という絵具のみを用いながら、実に多彩なスケッチである。瑛太のこの世から隔絶されたような佇まいも気になるところ。

『カルテット』から続いてきた優しい世界(「ぬるま湯」というニュアンスではなく)として、見る者に「あのね、現実と向き合わなくてもいいんじゃないかな」と語りかける、不器用でちぐはぐで孤独に浮遊する天使たちを映し出す『anone』というおとぎ話。過去、現在、未来、はたまたどこか別の世界を、物語ることは、誰かを癒す宝箱になりうるのだ。

 

〈追記〉

『初恋と不倫』もマストです。よろしくお願いします。

 

*1:名前を奪われた少女が、名前を取り戻す話、というところで、宮崎駿千と千尋の神隠し』の残酷バージョンであることは言わずもがな。

いつもポケットにハンカチを(ナンシー・マイヤーズ『マイ・インターン』)

人間というヤツの性質は、どうやらそう変わることはないらしい。よく「歳を取ると頑固になる」なんてのを聞くが、そんなことはないなずなのだ。今現在、口から唾を飛ばしながら、どうでもいいことにイチャモンをつけているような老人は、決して痴呆のせいではなく、元から彼(あるいは彼女)が、短気で怒りっぽい人間だっただけに過ぎない。逆に、歳を取っても、機知に富んでいる人は、若い頃からしっかりと物事によく目を凝らし、熟慮し判断を重ねてきた、賢明さがもたらしたものである。そう簡単に変われたら、誰も苦労しない。そんなことを考えながら、時たま、「無駄にこだわりだけが強い可愛げの欠片もないクソジジイ」として、周りから忌み嫌われる老後の己の姿を想像しては、ぞっとしてしまう。下手なホラーよりも肝が冷える話だ。

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世の中には「お仕事映画」なるジャンルがある。最近のものだと、『シェフ (ジョン・ファヴロー監督)』や『バクマン。(大根仁監督)』など良作は多い。そんな豊かで共感度の高いジャンルの中でも、屈指の良作だと確信しているのが、2015年公開『マイ・インターン』。主演は、これまでにこやかな笑顔と共に、数多の人間を葬ってきたロバート・デ・ニーロと、『プラダを着た悪魔(個人的には嫌いな部類の作品だが)』『レ・ミゼラブル』のアン・ハサウェイ。監督・脚本には『恋愛適齢期(これも良作なので是非)』のナンシー・マイヤーズ。もうこの時点で十分に盤石ではある。

(ただ、なぜか今作のロッテントマトの点が低く、こういう時ほど批評家ってアテにならないな、とは常々思う。特に『最後のジェダイ』がいい例だ)

恋愛適齢期(字幕版)

恋愛適齢期(字幕版)

 

デ・ニーロが、妻を失い、生きがいを求め、インターンに応募する70歳の老紳士ベン。ハサウェイが、イケイケバリバリに、ファッション通販サイトを経営する女社長ジュールズ。となれば、あらかたの人が「古臭い爺さんが、現代の女社長に振り回されつつ、なんか温かい心の交流的なアレで、ちょっとしたラブロマンスとかしちゃって、最終的に説教臭くなるヤツなんちゃいますの?」なんて邪推が働きそうだが、ところがどっこい、そんな安易なことはさせない。だって脚本がナンシー・マイヤーズですよ。見慣れすぎて欠伸が出そうな「若者vs老人」の衝突なんてやらない。そんな臭いドラマを用いなくても、しっかりとした脚本と演出があれば、スマートな映画になるのである。

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「お仕事映画」だから、まず最低限として、「お仕事」の光景を、魅力的な映像でシンプルに発信しなければいけないのだが、この映画のそれは非常にスムーズで、明快だ。冒頭、デスクで電話対応するアン・ハサウェイの社長が、次の仕事のスケジュールを確認しながら自転車に乗り、そこについていくと、社内で行われるアットホームなパーティーの様子や散乱するデスクの惨状、という会社の雰囲気と問題点がサラッと明らかになり、シーンを跨いでカメラが到着するのは、別の撮影場で、インターンのことを告げられる。この一連の流れで、もう映画として良いことが明白で、軽い気持ちで見れないぞ、と気持ちも引き締まる。主役二人以外の脇に映る、作品の筋とは関係のない人たちの「仕事」もしっかりと丁寧な撮り方で見せているのも、この映画の美点と言っていい(髭を剃る理容室ひとつとってもそうだ)。

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世代間のギャップ描写も使い古された、しょうもない衝突を使わずに、ちゃんと小道具で表現し、尚且つその人柄も説明する。それだけでなく、その世代間ギャップを感じさせるFacebookを、意思疎通のツールとして機能させるスマートさ。

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インターンとして合格し、席に付いたデ・ニーロが取り出したのは、道具の数々で、これまでの勤勉な仕事ぶりを窺わせる。彼がただ時代に乗り遅れているわけではない、という証左として、よく見かけるステレオタイプな「パソコンのキーボードが打てない」なんて陳腐な表現も廃していることにも注目していただきたい。ここまでで、彼がどれだけ柔軟にこれまでの会社に務めてきたのか、明白だ。さらに、

「ハンカチって意味ある?」

「女性が泣いたときのため」

という受け答えだって、普通ならば、なんだかスケベだなあ、と思ってしまうわけだが、ここまでの彼の人となりの説明によって、スキのない気転の利いた返答であることがわかる。ベンが「仕事」に真摯な人間である上に、紳士としての引きの巧みさも加わり、老獪で思慮深く、前に出過ぎず、常に全体を見まわす人物であることを、押しつけがましさなしに教えてくれる。誰かがやってほしいことを察して、全て先回りで率先して行う、という途轍もなくすごいことを、表面上何のそぶりも見せずに、当たり前のようにさらりとこなす。これはそのまま「一見どこにでもいそうな洞察力に満ちた老紳士」という姿を、佇まいだけで表現する老獪なロバート・デ・ニーロの演技にそのまま直結しているのかもしれない。そして、それらを余計な演出を一切使わずに、ミニマムにさらりと見せる監督の手腕。「サヨナラ」という茶目っ気のある挨拶だって、なんというかあざといくらいに目ざとい。

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アン・ハサウェイの社長像も新鮮で、彼女がステレオタイプな高圧的で嫌味な人間のようにはキャラ付けせず、自分で電話対応もし、どんな仕事相手にもポジティブさを失わない熱心さを見せ、その裏で1人の人間としても苦悩している(ママ友という社会は歪で面倒である)のも臆面なく見せてしまう。ただ、今作それら以外にはどうしても引っかかり、「単純にこの人スケジュール管理がド下手なのでは」という社長としては圧倒的にダメダメな部分が目に余ってしまうのは否めず、今後が心配になってしまうところではあった。

彼女のチャームとして「笑顔」が挙げられるのだが、今作はその「笑顔」の使い分けが実に巧みで、それを自然とリラックスして、自由自在にこなしている様子から、伸び伸びと演技できていることもわかる。作中での夫婦問題は意外にあっさり完結してしまったように思えたが、あれ以上やるとジメジメしてしまうから、これくらいがよかったのかもしれない。まあ、社長がダメダメなのも、華麗なデ・ニーロを光らせる小道具と思えば、そこまで気にはならない。

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あと、この映画、シンプルに発話が素晴らしく、聞き取りやすい。スピードには緩急もありながら、「英会話の勉強にうってつけ!」なんて看板を飾りたいほどに教科書的で、耳に滑らかに入ってくる。聞いているだけで、心地がいい会話というのは、これ結構難しいので、参考になるんじゃないだろうか。オールドスクール(デ・ニーロのスーツのように)なんだけど、肩肘張らないで、くつろげる空間も確保されている。脚本ももちろんこれに貢献しているのだが、やはり主演二人の演技による賜物であることには違いない。アダム・ディヴァインのアクセントも個人的にはかなりフェチだ。

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目を凝らすと、色々なところに映画を形作るエッセンスがちりばめられていて、わかりやすいようで、実はすごく細かい「目配せ」の映画なのだ。それでいて、誰が見ても簡潔で、共感しやすく、視覚的に気持ちがいい。

現実にはこんなことあり得ない、と思う方も大勢いるだろうが、そこを「現実でもこういうあるべき姿にしていこう」という風になれたら、きっと世界はちょっとはマシになるのかもしれない。もちろん、そんなにすべてが上手く事が運ぶはずもないのだが。手始めにハンカチを持つことから始めてみてはどうだろう。


映画『マイ・インターン』予告編(120秒)【HD】2015年10月10日公開

 

 おしまい

 

Netflixで「どれから見ればいいのかしら?」と迷ったときの処方箋

もう既に各所で「Netflixなら○○がオススメ!」というのを見かけまくって、ウンザリしておられる方も、きっと多いことでしょうが(自分もわざわざそんなものは見ないし)、とはいえ、普段の会話で、比較的ストリーミングサービスに馴染みのない方から、「ヘイ、ユーはどんなの見てるんだい?」と聞かれることも少なくなく、憚りながらも自分のフェイバリットをレコメンドさせていただく機会が度々あるので、それならばもういっそまとめちゃいえばよかろう、と今回のまとめのような記事を書かせていただく次第でございます。「もう、そんなビギナー向けのナメたのはごめんだね」という方には既視感バリバリの見慣れまくったものになっていると思うので、他のブログ同様に筆者の自己満足的なモノと思っていただいて、サクッと読み飛ばしてもらえれば幸いです。

(尚、日々様々な良作が生まれているNetflixさんでございますから、随時更新していく予定です。あと、『ファーゴ』『ブルックリン99』『アメリカン・ホラー・ストーリー』など、見ていただきたいものはあるのですが、今記事ではオリジナルコンテンツ限定とさせていただきます)

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悪魔城ドラキュラ』もグラフィックが堪んないですよ

ドラマ篇

『私立探偵ダーク・ジェントリー』

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騙されたと思って、S1の3話くらいまで試しに見てください。で、騙された、と思ったら、そこでやめていただいて、なんだか気になるぞ、と思えば、そのままラストまで突っ走るのみです。多分後者なら、間違いなくその時点で、あなたはこの作品の虜となっていることでしょう。原題に『全体論的探偵事務所 』とあるように、一つの手がかりからどんどん追っていく、などという従来の探偵像はここになく、「すべての出来事は繋がっている」と、行き当たりばったりなのかなんだかよくわからない感じで、主人公ダークに振り回されるばかりの、我々視聴者とイライジャ・ウッド。終始一貫して、ダークがウザいです。でも、なんだか憎めない。というか、出てくる登場人物みんな愉快でかわいげのある。なんて思ってたら、あれよあれよと、これまでの不可思議な現象が一本の線に集約されて、とんでもないとこに着地する、なんともジャンル分け不可能な作品でございます。

 

『このサイテーな世界の終わり』

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サイコパスの少年と、人生のすべてを変えたい少女が思いついたロードトリップ。けど、その道程は、思った以上に山あり谷ありで…。漫画が原作のブラックコメディ」という、公式の紹介文丸々抜き出した紹介文だけでも、説明十分なくらいなんですけど、これがもう個人的にはピカイチの大当たりで、近いうちにでも記事にまとめたいと思っております。20分が8話なんで、ちょっと時間的な物足りなさを感じなくもないですが、久しぶりにグッと来たロードムービーでございました。浅はかで、愚かで、短絡的な、若さあふれる青春ものという、筆者の大好物なのです…………ただのフェチなんですが。アレックス・ロウザーの虚無感が良いです。顔の良い男子に虚無を見出したいんですよ。

 

『ザ・クラウン』

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薄い感想ですが、まあお金かかってますよね。お金かかってる上に、1話1話が重たすぎる。うっかり流し見なんてできないので、困ったものです。とてつもなく濃厚な人間ドラマでございます。正直こちらはビンジウォッチングには不向きなので、週一ペースで大河ドラマを見るくらいの気持ちで臨んでいただけたら、よいのではと。結構赤裸々で「こんなことやってもいいの?」という感じの描写が多々ありますが、91歳のエリザベス女王もお気に召されているようで、英国の芸能への懐の深さを感じます。マーガレット王女にヴァネッサ・カービーというキャスティングが見事すぎますよね。

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映画篇

『マッドバウンド』

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こちらも近いうちにまとめたいです。「傑作」と呼んでも差し支えないです。黒人差別を描いた作品は数あれど、こんな表現手法は見たことがありませんでした。ミシシッピの泥臭い農園を舞台に、白人の無意識の差別を描きながら、同時に黒人による黒人の立場も炙りだす、という何とも身も蓋もない現実がそこにはあり、叶わぬ友情に泣きました。メアリー・J.ブライジの好演も必見です。

 

『この世に私の居場所なんてない』

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『ダーク・ジェントリー』に続き、イライジャ・ウッドくん出演です。いるだけでも、安心感があります。ダメ人間が似合う。迂闊な人々が引き起こす、トンデモ珍事はまるで『ファーゴ』のようです。小さな犯罪から、現実の世界のひずみを浮かび上がらせる手口なんかはまさしく。タイトルがドン臭い感じで嫌厭されそうですが、見逃し厳禁の一作となっております。90分程度の尺で、タイトに引き締まった脚本が魅力的で、クライマックスで見せるあの神がかり的なテンポの良さは芸術の域。

 

『スペクトル』     

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ガジェットがめちゃくちゃカッコいいし(SFとしてはまず大事)、幽霊の新解釈にも感心しきりでした。オリジナル作品で、このクオリティを維持できるって、恐ろしい時代ですよ。ちゃんとこちらの予想を覆すようなプロットも面白いし、物語運びそのものはアッサリしているので好感が持てました。

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ドキュメンタリー篇

実は、Netflixで一番見てほしいのは、ドキュメンタリーだったりするのですが、ちょっと手を出しにくいジャンルだな、という方もいらっしゃるはずなので、ピックアップしてお送りします。これ以外も、どれも高水準のもので、これからますますドキュメンタリー作品のプラットフォームとしても、市場を広げていくのでは、という充実っぷりです。

 

『イカロス』

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薬物検査の有効性を実証するべく、自らドーピングしてロードレースに参加するという計画から、自体が思わぬ方向へと動いていき、国家ぐるみのドープング不正を暴いていく、というドキュメンタリー。関わったのがWADAのラボの所長だったせいで、事態が全く様相を変え「偶然撮れてしまったヤバい映像」感が孕んでいくこのドキュメンタリーの醍醐味には、ゾクゾクしました。太陽に手を伸ばしすぎたあまり、偽りのロウの翼が溶けて落ちるワケですね。いやあ、ホント大変だったと思いますよ。スタッフめっちゃ怖かっただろうな、という緊張感が走る怒涛の後半、見ているこちらがビビってしまいます。この作品を見てしまうと、プーチンをネタになんかできなくなりますからね。

 

『ホットガールズ・ウォンテッド』

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アメリカのポルノ業界の悲惨さを赤裸々に綴ったドキュメンタリー。AV女優の裏側に迫った内容が主なのだが、そこで繰り広げられる虚無な日々が切ないやら。お金も稼げて、セックスで有名になれて、なんて甘い話あるワケはなく、なんとも苦しい現実。当たり前のように消費されて、捨てられる悲惨さ。『~オンライン・ラヴ』という後続シリーズも面白いので、そちらも。

 

『シェフのテーブル』

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この手のドキュメンタリー、芸術の方に走りすぎて、食がおろそかになっているような感じがして、苦手な人もいると思うのですが、 このシリーズはちゃんと「食べること」の大切さを教えてくれたりします。シーズン3の韓国の尼僧、チョン・クワンさんのエピソードがとても、生き方としてビューティフルでした。悟りの感覚、学びたいものです。あと同シーズンの3話目もオススメ。

 

と、まあまだまだ取り上げたいヤツがあるのですが、あくまで〈初級編〉的な位置付けなので、あまり深掘りするのは野暮ですし、各々が気に入ったものを見つければいいと思います。ビバ、ストリーミング引きこもりライフ!

誰がために人は泣くのか(湯浅政明『DEVILMAN crybaby』)

デビルマン」を信じることはできませんか?

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永井豪という漫画家で、最初に頭に浮かぶ作品といえばなんだろう。男子のスケベ心を鷲掴みにした『キューティーハニー』だろうか。それともフィギュアで遊んだ方も多い『マジンガーZ』だろうか。しかし、それ以上に、もっと強烈な個性を放ち、未だに語られながらもオリジナリティは廃れず、後々に続いていく様々な傑作に、そのDNAが脈々と受け継がれていった作品がある。それが『デビルマン』だ。

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といっても、自分にとって、『デビルマン』は前に挙げた2作と違って、不勉強ながら、あの伝説的な駄作として悪名高い実写版*1、有名な「外道!貴様らこそ悪魔だ!」という名言、ヒロインの絶望的な末路、など、さして情報がなく、非常に頼りない断片的な知識量で、とてもファンとは名乗れないレベルなのだが、それでも度々アニメや漫画を読んでいると「あー、これは『デビルマン』だなー」とニヤニヤすることが多々あり、それほどまでに日本のカルチャーに深く根付いて継承されている作品と呼べるのではないだろうか。先の広告が問題に放っているものの、思いつくだけでも『寄生獣』『うしおととら』『ZETMAN』『化物語』などが挙げられ、これらが実際に影響下にあったかどうかはさておき、類似したテーマ・設定のフォロワーが数多く存在する、古典的名作という位置付けには異論はないはずである。

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そんな作品を、"あの"湯浅政明がリメイクするのだから、これは大事件。『マインド・ゲーム』『夜明け告げるルーのうた』とポップなイメージの作家なので、一見ギャップがあるのだが、実はその中に常に純度の高い暴力性が潜んでいるのは作品を見たことのある人なら、ご存知のはずで、この情報が発表されたときは「その手があったか!」とポンと手を叩いてしまった。

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そして、いざ蓋を開けてみると、湯浅作品史上、かつてないほどに残虐で、容赦のない剥き出しのエログロヴァイオレンス劇が繰り広げられており、血に飢えた視聴者たちの喉を潤すには、十分なクオリティになっていたのだ。大正解の起用である。

永井豪の諸作のようなゴツゴツした絵面こそは、削ぎ落とされているが、自分のような一丁噛みの人間でも、監督のそこはかとない巨匠の原典『デビルマン』への愛情が感じ取れる出来で、その上、湯浅作品特有の物理法則を無視した、縦横無尽な画の躍動が生かされており、どちらのファンにも旨味のある内容であった。

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不動明飛鳥了という、コインの表と裏のようなキャラの対比がユニークだ。BL臭すらある。人の悲しみを受け入れ、泣くことができる主人公と、目的のためなら、人を殺すことに躊躇の欠片もない、わかりやすいほどのサイコパス飛鳥了(その一方で明が第一という純情っぷりもミソ)。ヒロインである美樹は、アニメ史上と言っても異論がないほどに可愛く、血みどろの惨劇の中で燦然と輝く一輪の花のような美しさを放っていた。こんなにヒロイン然としているなら、花澤香菜の方がいいのでは、とも思えたが、最後の最後で潘めぐみがキャスティングされた意義が理解できた。あの断末魔こそ「トラウマ級衝撃」と言っていいだろう。彼女を待ち受ける運命の非情さには、胸が痛んだ。裏ヒロインのミーコというキャラクター像も、非常に面白く、おしとやかに見え、性に意外と奔放だったり、押し隠してきた本当の気持ちが爆発する9話は、今作のテーマである「人は脆く弱い。でも、時として愛おしい存在でもある」という、唯一の救いを見せてくれて素晴らしかった(ただ一点、そこで人を殺めちゃうの、というのがあり、いただけなかったのだが)。陸上部に所属している、という、設定も、悪魔と人間の走り方の差異や、バトンを繋ぐ/繋げないというクライマックスの展開に作用していた。

七尾旅人のエンディングソングが

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今作は「デビルマンというアニメがあった世界」の物語だという点で、我々の現実と延長線上にある。類似の試みは『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』でなされており、あの映画の中では、現実のアニメが主人公にヒーローとしての自覚を芽生えさせる装置として機能している。『LOGAN』では、アメリカンコミックに載ったXメンの姿を見て、「こんなものは作り話だ」と当事者のウルヴァリンに否定させている。『デビルマンcrybaby』では、もう少し、その設定を盛り込んで、物語を動かしてほしかった気はするものの、ネット社会(凡庸表現)と『デビルマン』が同一線上にある、という描き方は、古典を現代に「リブート」させる手段として、有効であったように思う。

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全体の作品の欠点としては、無理に30分の枠に納めなくても、配信なんだから、もう少しスピードが落ちない程度に、シーンの間の説明があった方がいいのでは、という唐突さや、いい加減見飽きた陳腐化してきているクドいSNS描写、毎話冒頭に流れるラップシーンなど、力技すぎるというか、ちょっと強引で噛みあっていないな、と思うものも随所に伺えだ。もっと過激に飛ばして、マジに視聴者を凍り付かせて、トラウマを植え付けるくらいの、ブレーキの壊れ具合でもよかったようにも思える。

それでも、ネット配信という場を活かし、10話休ませる暇もないスピードを保ちながら、純粋な暴力的な画としての魔力が否応なしに増幅されており、生理的嫌悪感を感じさせる場面もしっかり用意され、劇画調なセリフもグッと心に響く映像の圧、そして『ルーのうた』でも見られた「人間になりきれない者たちの悲哀」が滲み出ていて、もうこれ以上の「リブート」は不可能なのでは、という湯浅政明の完全燃焼っぷりには頭が上がらない。拒絶されることが前提にある「悪魔」という存在の虚しさにも、愛着を注いで、本来なら目立たないところにいたはずの人間が、己で決意し、たとえその結果が報われなくとも、想いを爆発させる、というのも実に湯川作品らしい。悪魔であるが故に高貴で誇り高いシレーヌとカイムの最期は、バツグンに切ない、屈指のグッドエピソードだ。最後に全てが明かされ、独りぼっちになった広大な世界に泣いた。でも、ちゃんと救いもある。ただ不条理で終わらせないのも、監督の作品への思いやりなのでしょう。

過激で、見る者の胸を、業火で焼き尽くす、鬼才と天才の核反応は、とてつもない求心力を放っていた。

決して、「悪」を突き放さず、慈しみをもって、しっかりと愛で包み込む。

人が、人である所以とは、何なのか。「泣き虫」は誰のことだったのか。

本作は決して完璧な作品とは呼ばないかもしれない。人もかなり選ぶだろう。少々、説教臭すぎるようにも思う。沢山の色が塗りこめられすぎて、真っ黒になってしまった絵画のようでもある。しかし、その黒の下に眠る、まっすぐで切実な祈りはしっかり伝わってきた。 

ただの安易な「リメイク」ではないことは確かだ。必然的に現代にマグマの底から蘇った異形の呻きを、しかとご覧あれ。

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追記:見終わった後に「人間許さん!!」になるのは間違いなく、監督の現時点最高傑作『夜明け告げるルーのうた』と地続きにあるそちらをご覧いただいて、バランスを取られたらよろしいかと思います。同じNetflix作品なら、『悪魔城ドラキュラ』がオススメです。

*1:ずっとなんとなく三池崇史だと勘違いしていたのですが、那須博之なる人のモノだったようで、本当に申し訳ないです(笑) あそこら辺の時代の実写化って三池か紀里谷みたいなところあるじゃないですか…………言い訳が苦しいですね、ごめんなさい

唄うことは難しいことじゃない(湯浅政明『夜明け告げるルーのうた』)

さよならなんて云えないよ

出会いがあれば、別れがある。日が昇り続ける限り、自明なことであり、言葉にするのも陳腐だ。

もっと陳腐で、奥ゆかしいことに定評のある日本人ならば、口にするのも困難な言葉がある。それは「アイ・ラヴ・ユー」と「グッド・バイ」だ。このたった一言を告げることに、我々は、夏目漱石の時代から(もっと遡れば奈良時代くらいまでか?)、心を砕いてきた。本当のことなのに、ちゃんと伝わらないかもしれない。でも、口にしなければ伝わらない、もどかしい難しさ。素直に言えば、嘘くさいから、どれだけ回りくどくても「メロディ」に乗せることで、胸につかえる気持ちを吐き出してきたのだ。

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人生のどこかに訪れるグッドバイに、明るく手を振りながら、「アイ・ラヴ・ユー」を告げるのが、湯浅政明監督による金字塔的ジュブナイルが『夜明け告げるルーのうた』である。

(キャラクター原案がねむようこ、キャラデザ・作画監督が伊東伸高、共同脚本には吉田玲子、と最強の布陣なのである)

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どこを切り取ってもカワイイ、人魚のルー

あらすじは、感情を表に出すことを避けている、少年カイ(彼の趣味が動画サイトに自作の曲を投稿することで、使用する楽器がMPCの宅録ウクレレ、というのがいかにも現代的で、個人で完結しており、これだけで彼の心の閉ざし具合がわかる。かつての米津玄師のようである)が、ひょんなことから、歌うことが好きな人魚のルーと出会い、保守的な田舎町のいざこざや、人魚の伝説が絡み合っていき、次第にとんでもない事態を引き起こしていくという、ひと夏のSFボーイミーツガールだ。

(カイたちが組むことになるバンド「セイレーン」の由来でもある人魚伝承のある、山と海に挟まれた、日無の町の名物は、傘。この傘は日差しから守ってくれるバリアにもなり、人魚たちの居場所を作る道具にもなる、というのもよく考えられた、童話的な設定である)

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既に各所で指摘があるように、偶然だろうが『崖の上のポニョ』と類似したものとなっている。『パンダコパンダ』や『E.T.』が初見では脳裏に浮かんだ。当初、『ルーのうた』は人魚という設定ではなく、バンパイア(日光を浴びたら身体が燃え出したり、噛まれると人魚になっちゃったり)だったらしいのだが、これが今作のポップネスに大いに貢献しているのだろう。理解されたくても、異質さゆえに理解されず、人間にあこがれ続ける存在としての人魚。そんな人間になりたくてもなれない、不完全な魂たちが蠢く、海の中の黄泉の国。その海の底には、自分を二分する片割れのような存在が、時代を超え、失われたはずのピュアな愛と共に、宝箱のように眠っていて、その海が日無町を大きく包み込んでいく、という構造がとてもうまいことできている。本来ならば、無残にこの世から消えてしまう、保健所たちの犬が「犬魚」として、海に放たれ、永遠の命として泳ぎまわる、というのも、すごく救いのある世界観で、行き場を失った命にさえも、愛着の眼差しを向ける監督の優しさが胸に沁みた。寓話の魔法。

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『ポニョ』と大きく異なるのは、時折グロテスクさこそ姿を見せるものの、決して後味が悪くなく、サイダーをグイッと飲み干したような爽やかさがある、という点だろう。多幸感を舌の奥に残したまま、タップダンスでも踊りながら、劇場を後にしたくなる。そして、もう一つ、相違点を挙げるなら、この物語を単なるボーイミーツガール(響きがいいので反復させていただく)で終わらせず、干からびた日無の町の人々が、過去から愛を蘇らせ、潤いを取り戻す、いわば『あまちゃん』のような復興ものとして物語が成立しているというところであろうか。孤独な少年と異界の少女のミクロなときめきが、やがて町全体をマクロに包み込む、ダイナミックな展開になっている。吉田玲子脚本、ここにありといったところで、ブランコの場面は「やられた!」と、なぜかちょっと意味のないジェラシーを抱いたほど。「スマホ」という小道具が、後に寓話のギミックとして生かされるのもフレッシュだ。

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湯浅政明の特徴として、まるで心模様をそのままスケッチブックに書き写したような、この世ではあり得ぬグニャグニャのモーションで、自在にありとあらゆる森羅万象が平面のままメタモルフォーゼしていく描写がある。まさに水を得た魚のように、「海」をテーマに添えたことで、今作はそれがより一層ドラッギーな効果をもたらしており、リズミカルな音楽をバックに、映像がうねり、物語にグルーヴを育んでいく(浜辺で町民たちが踊り狂う場面は、これまでのアニメにはなかった視覚的な快楽がある)。下手すりゃ、作画崩壊ともいわれかねないような、監督の抽象的な線画での、表現力には毎度驚嘆するばかりだ。絵で感情の表面をなでるように、見る者の心をざわつかせる。グレートな手法である。

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オープニングの手拍子から始まる導入も音楽的で心地よく、ここだけで「おっ、音楽のセンスいいな」となるのだが、さらに着目したいのが両親の恋文のようなカセットの数々で、これが実にリアリティがある。RCサクセション奥田民生レディオヘッド、という、この統一感のなさが、なんだか背伸びした音楽少年のようで、甘酸っぱい。しかも、この時代の残骸たちがクライマックスのカタルシスに直結するというのだから、何重にも重なった時代のレイヤー構造も含め、やられた、という感じなのである。過去のファンタジーが、母屋にファンタジーのまま残っていたから、リアルを救済できる鍵となり得たのかもしれない。

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そのクライマックス、というのが、廃墟と化した「人魚ランド」で、カイがウクレレを片手に、あの年代にしか出せない声の絞り方で、不器用に掠れながら、拙く歌い上げる『歌うたいのバラッド』。ここで、海底から、街の人々の歴史が同時に迫ってきて、涙腺が物の見事に崩落してしまう(下田翔太君の徐々に気持ちが籠っていく歌唱がとにかく素晴らしいのだ)。

歌うことが好きなルーは、あっけらかんと、ポップに「すきーっ!」と叫ぶ。彼女の「すき」は、瞳に映るすべてへのアイラヴユーなのだ。そんな純粋無垢な姿を見て、まっすぐに想いを吐き出せたら、どれだけハッピーなのだろうか、と思ったりする。

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でも、そんなシャイで青臭い、僕らのような歌うたいたちは、それがやっぱりちょっぴり恥ずかしかったりする。だから、悲しみをバラッドに乗せて、最後に精一杯、やがて訪れる全ての別れに、2度と戻らないあの日に、新たな夜明けに、大きく手を振り、こう告げるのだ。

 「愛してる」

短いけれど、メロディに乗せれば、どんな想いも伝わるのかもしれない。


映画『夜明け告げるルーのうた』PV映像

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  • YUI
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

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おしまい

雑記3(M1とか欅坂46の紅白とか)

毎年「今年は明けるんだろうか」とソワソワするのだが、やっぱりいざ迫ってくるとなれば、明けちゃうもんで、不思議なものでございます。

年の瀬にかけての浮かれ具合にウンザリしつつ(伊集院光がラジオでよく毒づいているアレだ)、思い出すのは、おぎやはぎの漫才の前口上。いつかの『爆笑ヒットパレード』での

「めでたいねー 年明けたねー」

「明けましたねー」

「確か毎年明けてたかな?」

「多分毎年明けてるんじゃないかな」

「さすがに今年は明けないと思ってたけど、まさか明けるとは思わなかったよ」

「うん 明けたね」

「明けなかった年なんてあった?」

「うーん なかったと思う」

という、この間の抜けたやり取り。この脱力具合が大好きで、毎年新年を迎える度に、このぬるっとした感覚になる。なんだかんだ、明けちゃった2018年も、何卒よろしくお願いいたします。

 

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さて、そんなぬるっとした入りから、振り返っていくとして、12月初旬、2017年最も心が震えたことに、M1で繰り広げられた濃厚なドラマがあったかもしれない。とにかく豊作だった。

まず、そもそも、決勝に出られなかった面々が凄くて、個人的推しのAマッソと霜降り明星に、ハライチ、三四郎南海キャンディーズ、ランジャタイ、見取り図と濃すぎる。そんな誰が敗者復活してもおかしくねえな、という状況で、勝ち上がったスーパーマラドーナの安定っぷり。1発目にして、初出場、という今までならば圧倒的に不利な状況で、しっかりと観客から笑いを掻っ攫ったゆにばーすの大健闘(あのときの松本人志の客をうかがうような審査はかなり不満だった)。川瀬名人の情景描写力の高さ。空間の使い方が巧みで、無駄のないセリフたち。はらさんのモーションには信頼を寄せながら、決して見た目の面白さだけで押し通さない、実力に裏付けられた脚本。ネタ単体ならば、もうこれ以上の物はなかったように思う。マイ優勝コンビはゆにばーすでした。コントだけでなく、漫才も手堅いかまいたちの無双っぷり。兄弟という要素に加え、あの見た目のキャッチーさがキュートなミキ。練り込まれた脚本が印象的だったカミナリ。この後めちゃくちゃ売れそうな気配を残した、ダークホースさや香。全ネタが違うという脅威の生産量による盤石の態勢で勝負を挑んだ準優勝の和牛。そんなストレート勝負に挑んだタフな和牛を、後ろから膝かっくんで崩すような小ズルさと、その裏にある明確な知将っぷりで優勝を捥ぎ取ったとろサーモン。とにかく誰が勝ってもおかしくない、熱戦であった。久保田さんの涙には、もらい泣きしてしまった。MVPは司会の今田耕司さんでしょう。

そんな中で、最もハートに突き刺さったのは、圧倒的にジャルジャル。アイドル的な見た目や『めちゃイケ』での振る舞いで、鼻につきやすかったりして、どうも誤解されがちなコンビなのだが、そんな二人お笑いへの血を吐くような情熱と誠実さがビシビシに伝わってきたフリースタイル漫才の極北『変な校内放送』には、ドラマ版『火花』の夏の湿気が鼻につんと突き刺さって、そのストイックな生き様に涙してしまった。純粋なアイディア的なトリッキーさに、漫才という形式の耐久性をギリギリまで試すような、チキンレース的なヒリヒリ度合。一見、些細な事と思えたルールを、さらっと回収する手際に、後藤さんのキレキレのツッコミ。そして、あの二人の楽しそうな顔だ。もちろん、あの研ぎ澄まされたネタの裏にはすさまじい練習量があったはずなのだが、表面上はそんなことちっとも感じさせない。鍛え上げられた肺活量と、彼らにしか共有できない絆で、綱渡りに挑むフロンティア精神。プログレッシヴ・ロックをギリギリ踏ん張って、ちゃんと「ポップ・ミュージック」として成立させた漫才師としての意地だ。このネタ、イントロがよくって、観客を、気のおける友達とくだらないゲームをしていたあの頃に、この一言でタイムスリップさせる。

「あのさ、今から変な校内放送やるからさ、ちょっと盛り上げてほしいねん」

「校内放送」というテーマがグッとくるではないか。これまで苦楽を共にしてきたであろう彼らが、「輝かしくキラキラしていた青春の一コマ」を感覚と100%共有したわけだ。あの瞬間だけは、松本人志を「ワイドショーで偉そうに薄い発言しかしないひな壇大御所ジジイの松本人志」から「かつて世間を挑発し続けた笑いに貪欲なアナーキスト松本人志」に戻したんじゃないか。そのくらいの力が、彼らのタイムカプセルを掘り起こすようなネタにはあったのだ。

松本人志オール巨人(彼の懐の深さには常々いてくれてよかったと思う)を除いては、難色を示し、6位という結果に終わったジャルジャル。それを受け、悔し涙をこらえながら、芸人として、どうにか笑いに徹しようとする後藤さん。そんな必死な彼へ向けた「お前、ようボケ続けれるな」という福徳さんの言葉が、胸に迫る切なさで、見ているだけで苦しかった。ミスなくパーフェクトにやり切っても、真っ当に評価を貰えない。順風満帆に見えたキャリアから、劇場という大きな舞台の袖の見えない部分に追いやれた、彼らの淘汰される側の悲しみ。もっと彼らが報われてほしい。そう願わずにはいられない。まだ彼らの青春は終わっていないはずなのだ。また「博打」を見せてくれ。頼む。


ジャルジャルコント『逆ー!!!』

あのジャルジャルのネタに「単調だからもうひと捻り欲しい」という指摘を見たが、それをやったら漫才とは呼べなくって。そんなこと、漫才の当事者の人の方がわかりそうなものだが、それはオールドスクールな漫才で闘ってきた中川家博多華丸だから仕方がないか。大吉先生の逡巡が伺えるラジオでのコメントも「なるほど」とは思わされた。新しいものに対する戸惑いが大きかったそうだ。若い世代の芸人達には、これからも持ちうるイマジネーションを最大限に駆使して、お笑いのイリュージョンを成し遂げてほしい次第でございます。

キングオブコントもM1も、審査員をベテランでなく、現役でステージに立つ芸人のみにするべきだと思うのだが、もうしばらくはこの体制が続いていくんでしょうねぇ。

 

オペラを見に行く。演目はモーツァルトの『魔笛』だ。マニアと言えるような知識量はないので、評するようなことはできないのだが、自分が知ってる『魔笛』とはまた違ったフレッシュなもので、特に舞台装置に目が入ってしまった。「夜の女王のアリア」が圧巻だったので、これを見られただけでも、料金分の価値はあったように思う。同行した友人いわく、相当レベルが高い舞台を小さな劇場で見れたんだから超お得だよ、とのこと。2018年は生モノをもっと見れる年にしたい。出不精を治さねば。

 

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FNS歌謡祭での、平井堅×平手友梨奈の「ノンフィクション」パフォーマンスの凄まじさ。sia『シャンデリア』を彷彿とさせる。永遠に塞がることのない傷をどうにか埋めようと、もがき苦しみ、身を削るような「舞い」に、心を奪われない者がいるのか。彼女の身体は「物語る」ためにあるようだ。孤独に埋もれそうな少女を、どこかの地平から呼び戻す、あの憑依ぶり。華奢な肉体に、どれだけ抱えきれないエネルギーを有しているのだろうか。あの齢にして、何者にも近寄らせない孤高の境地。絶対的な拒絶。全てを振り切った先の自由。刹那の表情や腕の一振りで、観客から痛みや苦しみを感覚として呼び覚ますことができるのは、それは彼女が正真正銘の「アーティスト」だからだ。

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『ジム&アンディ』を見ていたら、どうも平手友梨奈さんも仙人になってしまうのでは、と不安になる。よく「憑依型アーティスト」なんて言いまわしがあるけど、やはりあの手のメソッド演技は精神にとんでもない負担をかけるし、なぜにヒース・レジャーはなぜ命を落としてしまったか、とかも自然と紐解かれるので『ジム&アンディ』は実に貴重な映像資料集なわけなんですよ。


東京03 - 「大丈夫です」/『第6回 東京03単独ライブ 「無駄に哀愁のある背中」』より

月末はサンドウィッチマン東京03Youtubeチャンネルは本当に楽しみ。まあ、そんなん関係なく毎日のように見ているけど。

年末年始のサンドリまとめ聴きは、恒例行事化してきたな。ゲスナーの戦場であり、楽園でもある。有吉さんはラジオが一番面白い。

藤井Pの影響で聴きだした、BAD HOPによるリバトーク、普通にラジオとして面白い。

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水曜日のダウンタウン』の「フューチャークロちゃん」企画。またしても、バケモノ企画で、とんでもない傑作回だった。クズなんだけど、悪人ではない、なんだか憎めない味がありすぎるクロちゃんという素材で、ギリギリバラエティができる残酷ドキュメンタリーを、笑いと狂気の綱渡りで成功させた、スタッフはどうかしている。ラリってるとしか思えない。サンドウィッチマン伊達さんのツッコミテストのような企画もファンとして最高でした。

以前も書いたが、高いところ払わないと、コーヒーはやはり日本のが確実にうまいので、セブイレのあの機械を背負って、次回はこちらに来たい。

近頃は、街を歩けば、ケバブ屋に当たる環境を生かし、ケバブ屋巡りを巡行している。基本的にどこも美味いので、優劣がつけがたい。

日本米でなくても、炊飯器で米を炊くと喜ばれるようで、炊飯器持参でホームパーティに臨んだのは、大成功だったようだ。みんな口々に美味いと言ってくれたので、おにぎりのある文化圏で育ったことへの感謝でいっぱいになった。

よく、海外在住の人が、Twitter上で「日本はここがダメなんだ」というのを前々から見るのだが、いざ外に出てから見まわすと、そうでもないのにな、と感じる。もちろん、課題は山積しているし、決して楽観的な状況ではないのだが、少なくとも、自分が外にいる間は「日本のこういうところって、まだまだ旨味があるよ」ということを発信できたらな、とは思う。だって、ああいう出羽守オバさんってすごく無責任じゃないですか(かといって、「日本のここは良いよね」をライト側のイデオロギーに利用されるのは嫌なのだが)。

 

『有吉の壁』、アルピーと三四郎がただ愛おしかった。あれを6時間くらいやったらいいのにな。有吉さんがゲラゲラ笑って、周りの芸人が好き放題伸び伸びボケる。あの空間はシビアだけど、みんな楽しそうで大好きだ。

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全体的な紅白の感想としては、欅坂と椎名林檎星野源が圧倒的で、他がかなり霞んでしまってたな。「目抜き通り」は日本のありとあらゆる街のテーマソングにしていただきたい。林檎さんは、情景を呼び起こすのが非常に上手いですね。上手いとかいうのも失礼か。

乃木坂の「インフルエンサー」楽曲自体はこれまでのシングル群の中では、かなり下位の部類に入るはずなのだが、年末にかけての「2017年のヒットはこれだ!」というゴリ押しを見ていると、そう悪くないのかもと思えてきたし、総体としてのビジュアルの良さを売り出すのには確かにうってつけだ。生駒さんと中田さんの豹変ぶりには毎回惚れてしまう。2018年はもっとアンダーに飛躍してほしいな。本丸の3rdはそこそこ残念な寄せ集めみたいな内容だったので、アンダーアルバムには期待しています。

バナナマン乃木坂のコラボ、知らない人が見たらどうなるんだろう、とは思いつつも、やはりテレ東の番組で「乃木坂とはもうこれが最後だろうし、思い出作りたい」とボソッと呟いた日村さんの真剣な面持ちを見ると、自分たちができるものは何としても残してあげたいんだろうな、という親の真心を感じてウルッとくる。番組とか見ていても、彼女たちのそばにいる時間が楽しくて仕方がないんだろうな。

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欅坂の紅白パフォーマンスにやられすぎて、大晦日に飼っていた愛犬が具合が悪くなってゼェゼェと息し始めたときの同じくらい、取り乱してしまった。「紅白のあの後にCDTVの年越し生ライブなんて過酷すぎる…………僕は嫌だ!!」という興奮した呟きをしてしまったほど。普通に考えたら彼女たち普通にまだ18歳未満いるし、深夜帯に生出られないじゃねえか、という基本中の基本を見失ってしまった。好きになると、こんなにも人は無様になるのか(糞ポエム)。万全とはいえない状況で、3人も倒れたことは異様で不幸な事態なのだが、そんな中で見せた菅井さんや守屋さんのキャプテンらしいプロ意識、未来の同志を気遣う内村さんの若き兵士を見守るような「大丈夫?」のかけ声、渡辺梨加さんや上村莉菜さんの衛生兵のような優しくて強い介抱、など絆を感じられるアツい瞬間もあった。ただ、欅坂の後ろにいる大人の仕立てる残酷ショーには正直な話をすると、元旦から腹が立ってしまった。2017年の紅白を境に仕切り直しをして、「二人セゾン」に続くしなやかなポップソングと共に新しい漢字欅の体制を築くべきタイミングで、武道館を設定するのは、気が触れているとしか思えない。ファンに喜ぶな、とは言わないが、いっそのこと不買運動でもすれば、彼女たちが休める環境を作れるのでは、と思うほどだ。自分が愛するグループで武道館という花舞台を祝福できないことがとても悲しい。彼女たちに今必要なのは「休息」であり、メンタルに追いつくフィジカルの土台作りであるべきだ。ひらがなけやきのグルーヴの向上を見ても、そんなことは明らかなのに、なぜ21人の少女たちを苦しめ続ける必要があるのか。設定するハードルの高さがあまりにバカげていて、理解に苦しむ。とはいえ、本当にお疲れ様でした。

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父親から「欅坂の女の子すごいな、あの髪短い子」とおそらく平手さんらしいことを褒めたたえるLINEが届く。ウッチャン世代にはやはり彼女らのひたむきさは刺さりまくるのだろう。『カウボーイ』での太田さんの熱の入れようにも近いモノを感じた。

『クイズ正解は1年後」岡田准一宮崎あおいの結婚を預言してた劇団ひとりスゲエ。あと和田正人吉木りさ、結婚してたのか。有吉・小木・矢作のトライアングルに野爆くっきーは強すぎる。あの4人だけで正直回せるくらい。ライガーの素顔のくだり好きすぎる。マスパン、かわいいなあ。ドラクエⅪ呪文クイズの「オダムド」「セトウチ」は笑い死ぬかと思った。あとサザエさん次回予告大喜利も爆笑で失神しかけました。


MONSTERS WAR 2017サイファー フル

フリースタイルダンジョンMonsters Warで集結したチーム呂布カルマのコンビネーションの良さ。カルマがクリティカルなフックかまして、そこにR指定と晋平太がすかさずWパンチをぶち込む。スゲエチームだ。漢さんのギラギラした感じがヒリヒリしてカッコよかった。やっぱDOTAMA、キャラが大好きだわ。アルピー平子さんのベンチャー企業の社長のようなコメントはウケた。

炎の転校生」見始めるも、10分持たず。あんな低クオリティを良しとする文化圏がどこにあるのか。酷すぎた。

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『格付けチェック』全問正解するガクト以上に存在感を残し、予定調和を崩して爆笑を誘った「逆神」生田絵梨花のモンスターっぷりに、たっぷり笑わせてもらった。ひな壇の芸能人が全員ショボく見えるくらい輝いてました。尼神との相性もすげえ良い。彼女は乃木坂という枠では語り尽せない、才能にあふれた人なので、もっと活躍の場が増えることに期待。

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「ゴッドタン」のマジ歌、毎年毎年、高クオリティのものが出てくるので天井を知らないまともにクレイジーだ。バナナマン日村さんのヒム子の怒涛の伏線回収は安定で、PPAPからの「誰が板東英二や」という鉄板ネタは無敵すぎる。バカリズムとEMCのコラボってだけでもヤバいのに、そこに桜井玲香(乃木坂46)の傑作個人MVがネタにあるというのが、さらにヤバい。ハライチ岩井さんのこれまでのラジオ含めた腐りっぷりを、ただの腐りに終わらせずに、熱いメッセージ性と共に全身から解き放ってたのに胸が熱くなった。面白くてカッコいいとかズルいよ。東京03が地味にアルファルファ呼ばわりなのも、ゴッドタンらしいアットホームな愛のあるイジリで好き。


江本祐介「ライトブルー」MV

年越しのラジオ番組のせいでガッツリ寝坊した澤部さんを「お前はいい奴であれ」と岩井さんが叱る流れ、ニンマリしすぎて年始の『ハライチのターン』がめちゃくちゃ楽しみになった。

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年始になるとなぜか伊丹十三タンポポ』が無性に見たくなる。あの作品はホントにいつ見てもいい。近いうちに他の伊丹作品も含めて、ブログ記事にできたらいいな、というのが直近の目標。ついでに『マイ・インターン』も見る。デ・ニーロがスーツを着て立っているだけで可愛い。あんなに人を殺めてきたのに。

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ジャスティン・ティンバーレイクのアルバム、2013年の傑作大名盤『The 20/20 Experience』から首を長く長くして待っていたので、新作は嬉しすぎる。ファレルとティンバランドという、鉄壁の布陣のようなので、もう間違いないっしょ。アルバムタイトルが『Men of woods』で、ジャケがボン・イヴェールっぽいのも期待を大いに煽られる。そういえば、ボン・イヴェールの来日からもう2年以上経つのか。早いなあ。あれだけはもう一回体験したい。

 

おしまい