誰がために人は泣くのか(湯浅政明『DEVILMAN crybaby』)

デビルマン」を信じることはできませんか?

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永井豪という漫画家で、最初に頭に浮かぶ作品といえばなんだろう。男子のスケベ心を鷲掴みにした『キューティーハニー』だろうか。それともフィギュアで遊んだ方も多い『マジンガーZ』だろうか。しかし、それ以上に、もっと強烈な個性を放ち、未だに語られながらもオリジナリティは廃れず、後々に続いていく様々な傑作に、そのDNAが脈々と受け継がれていった作品がある。それが『デビルマン』だ。

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といっても、自分にとって、『デビルマン』は前に挙げた2作と違って、不勉強ながら、あの伝説的な駄作として悪名高い実写版*1、有名な「外道!貴様らこそ悪魔だ!」という名言、ヒロインの絶望的な末路、など、さして情報がなく、非常に頼りない断片的な知識量で、とてもファンとは名乗れないレベルなのだが、それでも度々アニメや漫画を読んでいると「あー、これは『デビルマン』だなー」とニヤニヤすることが多々あり、それほどまでに日本のカルチャーに深く根付いて継承されている作品と呼べるのではないだろうか。先の広告が問題に放っているものの、思いつくだけでも『寄生獣』『うしおととら』『ZETMAN』『化物語』などが挙げられ、これらが実際に影響下にあったかどうかはさておき、類似したテーマ・設定のフォロワーが数多く存在する、古典的名作という位置付けには異論はないはずである。

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そんな作品を、"あの"湯浅政明がリメイクするのだから、これは大事件。『マインド・ゲーム』『夜明け告げるルーのうた』とポップなイメージの作家なので、一見ギャップがあるのだが、実はその中に常に純度の高い暴力性が潜んでいるのは作品を見たことのある人なら、ご存知のはずで、この情報が発表されたときは「その手があったか!」とポンと手を叩いてしまった。

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そして、いざ蓋を開けてみると、湯浅作品史上、かつてないほどに残虐で、容赦のない剥き出しのエログロヴァイオレンス劇が繰り広げられており、血に飢えた視聴者たちの喉を潤すには、十分なクオリティになっていたのだ。大正解の起用である。

永井豪の諸作のようなゴツゴツした絵面こそは、削ぎ落とされているが、自分のような一丁噛みの人間でも、監督のそこはかとない巨匠の原典『デビルマン』への愛情が感じ取れる出来で、その上、湯浅作品特有の物理法則を無視した、縦横無尽な画の躍動が生かされており、どちらのファンにも旨味のある内容であった。

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不動明飛鳥了という、コインの表と裏のようなキャラの対比がユニークだ。BL臭すらある。人の悲しみを受け入れ、泣くことができる主人公と、目的のためなら、人を殺すことに躊躇の欠片もない、わかりやすいほどのサイコパス飛鳥了(その一方で明が第一という純情っぷりもミソ)。ヒロインである美樹は、アニメ史上と言っても異論がないほどに可愛く、血みどろの惨劇の中で燦然と輝く一輪の花のような美しさを放っていた。こんなにヒロイン然としているなら、花澤香菜の方がいいのでは、とも思えたが、最後の最後で潘めぐみがキャスティングされた意義が理解できた。あの断末魔こそ「トラウマ級衝撃」と言っていいだろう。彼女を待ち受ける運命の非情さには、胸が痛んだ。裏ヒロインのミーコというキャラクター像も、非常に面白く、おしとやかに見え、性に意外と奔放だったり、押し隠してきた本当の気持ちが爆発する9話は、今作のテーマである「人は脆く弱い。でも、時として愛おしい存在でもある」という、唯一の救いを見せてくれて素晴らしかった(ただ一点、そこで人を殺めちゃうの、というのがあり、いただけなかったのだが)。陸上部に所属している、という、設定も、悪魔と人間の走り方の差異や、バトンを繋ぐ/繋げないというクライマックスの展開に作用していた。

七尾旅人のエンディングソングが

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今作は「デビルマンというアニメがあった世界」の物語だという点で、我々の現実と延長線上にある。類似の試みは『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』でなされており、あの映画の中では、現実のアニメが主人公にヒーローとしての自覚を芽生えさせる装置として機能している。『LOGAN』では、アメリカンコミックに載ったXメンの姿を見て、「こんなものは作り話だ」と当事者のウルヴァリンに否定させている。『デビルマンcrybaby』では、もう少し、その設定を盛り込んで、物語を動かしてほしかった気はするものの、ネット社会(凡庸表現)と『デビルマン』が同一線上にある、という描き方は、古典を現代に「リブート」させる手段として、有効であったように思う。

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全体の作品の欠点としては、無理に30分の枠に納めなくても、配信なんだから、もう少しスピードが落ちない程度に、シーンの間の説明があった方がいいのでは、という唐突さや、いい加減見飽きた陳腐化してきているクドいSNS描写、毎話冒頭に流れるラップシーンなど、力技すぎるというか、ちょっと強引で噛みあっていないな、と思うものも随所に伺えだ。もっと過激に飛ばして、マジに視聴者を凍り付かせて、トラウマを植え付けるくらいの、ブレーキの壊れ具合でもよかったようにも思える。

それでも、ネット配信という場を活かし、10話休ませる暇もないスピードを保ちながら、純粋な暴力的な画としての魔力が否応なしに増幅されており、生理的嫌悪感を感じさせる場面もしっかり用意され、劇画調なセリフもグッと心に響く映像の圧、そして『ルーのうた』でも見られた「人間になりきれない者たちの悲哀」が滲み出ていて、もうこれ以上の「リブート」は不可能なのでは、という湯浅政明の完全燃焼っぷりには頭が上がらない。拒絶されることが前提にある「悪魔」という存在の虚しさにも、愛着を注いで、本来なら目立たないところにいたはずの人間が、己で決意し、たとえその結果が報われなくとも、想いを爆発させる、というのも実に湯川作品らしい。悪魔であるが故に高貴で誇り高いシレーヌとカイムの最期は、バツグンに切ない、屈指のグッドエピソードだ。最後に全てが明かされ、独りぼっちになった広大な世界に泣いた。でも、ちゃんと救いもある。ただ不条理で終わらせないのも、監督の作品への思いやりなのでしょう。

過激で、見る者の胸を、業火で焼き尽くす、鬼才と天才の核反応は、とてつもない求心力を放っていた。

決して、「悪」を突き放さず、慈しみをもって、しっかりと愛で包み込む。

人が、人である所以とは、何なのか。「泣き虫」は誰のことだったのか。

本作は決して完璧な作品とは呼ばないかもしれない。人もかなり選ぶだろう。少々、説教臭すぎるようにも思う。沢山の色が塗りこめられすぎて、真っ黒になってしまった絵画のようでもある。しかし、その黒の下に眠る、まっすぐで切実な祈りはしっかり伝わってきた。 

ただの安易な「リメイク」ではないことは確かだ。必然的に現代にマグマの底から蘇った異形の呻きを、しかとご覧あれ。

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追記:見終わった後に「人間許さん!!」になるのは間違いなく、監督の現時点最高傑作『夜明け告げるルーのうた』と地続きにあるそちらをご覧いただいて、バランスを取られたらよろしいかと思います。同じNetflix作品なら、『悪魔城ドラキュラ』がオススメです。

*1:ずっとなんとなく三池崇史だと勘違いしていたのですが、那須博之なる人のモノだったようで、本当に申し訳ないです(笑) あそこら辺の時代の実写化って三池か紀里谷みたいなところあるじゃないですか…………言い訳が苦しいですね、ごめんなさい