唄うことは難しいことじゃない(湯浅政明『夜明け告げるルーのうた』)

さよならなんて云えないよ

出会いがあれば、別れがある。日が昇り続ける限り、自明なことであり、言葉にするのも陳腐だ。

もっと陳腐で、奥ゆかしいことに定評のある日本人ならば、口にするのも困難な言葉がある。それは「アイ・ラヴ・ユー」と「グッド・バイ」だ。このたった一言を告げることに、我々は、夏目漱石の時代から(もっと遡れば奈良時代くらいまでか?)、心を砕いてきた。本当のことなのに、ちゃんと伝わらないかもしれない。でも、口にしなければ伝わらない、もどかしい難しさ。素直に言えば、嘘くさいから、どれだけ回りくどくても「メロディ」に乗せることで、胸につかえる気持ちを吐き出してきたのだ。

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人生のどこかに訪れるグッドバイに、明るく手を振りながら、「アイ・ラヴ・ユー」を告げるのが、湯浅政明監督による金字塔的ジュブナイルが『夜明け告げるルーのうた』である。

(キャラクター原案がねむようこ、キャラデザ・作画監督が伊東伸高、共同脚本には吉田玲子、と最強の布陣なのである)

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どこを切り取ってもカワイイ、人魚のルー

あらすじは、感情を表に出すことを避けている、少年カイ(彼の趣味が動画サイトに自作の曲を投稿することで、使用する楽器がMPCの宅録ウクレレ、というのがいかにも現代的で、個人で完結しており、これだけで彼の心の閉ざし具合がわかる。かつての米津玄師のようである)が、ひょんなことから、歌うことが好きな人魚のルーと出会い、保守的な田舎町のいざこざや、人魚の伝説が絡み合っていき、次第にとんでもない事態を引き起こしていくという、ひと夏のSFボーイミーツガールだ。

(カイたちが組むことになるバンド「セイレーン」の由来でもある人魚伝承のある、山と海に挟まれた、日無の町の名物は、傘。この傘は日差しから守ってくれるバリアにもなり、人魚たちの居場所を作る道具にもなる、というのもよく考えられた、童話的な設定である)

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既に各所で指摘があるように、偶然だろうが『崖の上のポニョ』と類似したものとなっている。『パンダコパンダ』や『E.T.』が初見では脳裏に浮かんだ。当初、『ルーのうた』は人魚という設定ではなく、バンパイア(日光を浴びたら身体が燃え出したり、噛まれると人魚になっちゃったり)だったらしいのだが、これが今作のポップネスに大いに貢献しているのだろう。理解されたくても、異質さゆえに理解されず、人間にあこがれ続ける存在としての人魚。そんな人間になりたくてもなれない、不完全な魂たちが蠢く、海の中の黄泉の国。その海の底には、自分を二分する片割れのような存在が、時代を超え、失われたはずのピュアな愛と共に、宝箱のように眠っていて、その海が日無町を大きく包み込んでいく、という構造がとてもうまいことできている。本来ならば、無残にこの世から消えてしまう、保健所たちの犬が「犬魚」として、海に放たれ、永遠の命として泳ぎまわる、というのも、すごく救いのある世界観で、行き場を失った命にさえも、愛着の眼差しを向ける監督の優しさが胸に沁みた。寓話の魔法。

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『ポニョ』と大きく異なるのは、時折グロテスクさこそ姿を見せるものの、決して後味が悪くなく、サイダーをグイッと飲み干したような爽やかさがある、という点だろう。多幸感を舌の奥に残したまま、タップダンスでも踊りながら、劇場を後にしたくなる。そして、もう一つ、相違点を挙げるなら、この物語を単なるボーイミーツガール(響きがいいので反復させていただく)で終わらせず、干からびた日無の町の人々が、過去から愛を蘇らせ、潤いを取り戻す、いわば『あまちゃん』のような復興ものとして物語が成立しているというところであろうか。孤独な少年と異界の少女のミクロなときめきが、やがて町全体をマクロに包み込む、ダイナミックな展開になっている。吉田玲子脚本、ここにありといったところで、ブランコの場面は「やられた!」と、なぜかちょっと意味のないジェラシーを抱いたほど。「スマホ」という小道具が、後に寓話のギミックとして生かされるのもフレッシュだ。

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湯浅政明の特徴として、まるで心模様をそのままスケッチブックに書き写したような、この世ではあり得ぬグニャグニャのモーションで、自在にありとあらゆる森羅万象が平面のままメタモルフォーゼしていく描写がある。まさに水を得た魚のように、「海」をテーマに添えたことで、今作はそれがより一層ドラッギーな効果をもたらしており、リズミカルな音楽をバックに、映像がうねり、物語にグルーヴを育んでいく(浜辺で町民たちが踊り狂う場面は、これまでのアニメにはなかった視覚的な快楽がある)。下手すりゃ、作画崩壊ともいわれかねないような、監督の抽象的な線画での、表現力には毎度驚嘆するばかりだ。絵で感情の表面をなでるように、見る者の心をざわつかせる。グレートな手法である。

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オープニングの手拍子から始まる導入も音楽的で心地よく、ここだけで「おっ、音楽のセンスいいな」となるのだが、さらに着目したいのが両親の恋文のようなカセットの数々で、これが実にリアリティがある。RCサクセション奥田民生レディオヘッド、という、この統一感のなさが、なんだか背伸びした音楽少年のようで、甘酸っぱい。しかも、この時代の残骸たちがクライマックスのカタルシスに直結するというのだから、何重にも重なった時代のレイヤー構造も含め、やられた、という感じなのである。過去のファンタジーが、母屋にファンタジーのまま残っていたから、リアルを救済できる鍵となり得たのかもしれない。

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そのクライマックス、というのが、廃墟と化した「人魚ランド」で、カイがウクレレを片手に、あの年代にしか出せない声の絞り方で、不器用に掠れながら、拙く歌い上げる『歌うたいのバラッド』。ここで、海底から、街の人々の歴史が同時に迫ってきて、涙腺が物の見事に崩落してしまう(下田翔太君の徐々に気持ちが籠っていく歌唱がとにかく素晴らしいのだ)。

歌うことが好きなルーは、あっけらかんと、ポップに「すきーっ!」と叫ぶ。彼女の「すき」は、瞳に映るすべてへのアイラヴユーなのだ。そんな純粋無垢な姿を見て、まっすぐに想いを吐き出せたら、どれだけハッピーなのだろうか、と思ったりする。

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でも、そんなシャイで青臭い、僕らのような歌うたいたちは、それがやっぱりちょっぴり恥ずかしかったりする。だから、悲しみをバラッドに乗せて、最後に精一杯、やがて訪れる全ての別れに、2度と戻らないあの日に、新たな夜明けに、大きく手を振り、こう告げるのだ。

 「愛してる」

短いけれど、メロディに乗せれば、どんな想いも伝わるのかもしれない。


映画『夜明け告げるルーのうた』PV映像

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おしまい