ふしぎなwitchcraft

評論はしないです。雑談。与太話。たびたび脱線するごくごく個人的なこと。

「ごっこ遊び」じゃだめですか?Part.2 大九明子『勝手にふるえてろ』

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わからん………てんで、わからんけど、なんか分かるぞ………と、どうでもいいトラウマまで呼び覚まされた名シーン

<前回>

kuro-matsu2023.hatenadiary.jp

以前カウンセリングを受けたとき、項目の中に「あなたはよくひとりごとをしゃべりますか?」とあったので、素直に「はい」と答えました。ひとりごとってやっぱり疾患だったのか。

主食といっても過言ではない、もはや生活必需品のヨーグルトを切らしている。

参ったなあ。なんで昨日の帰りに行かなかったんだ。ちくしょう。

そんなことをひとりごち、ついでに今日の夕食に作ろうと考えていたビビンバ(ビビンパのが正式なんだっけか)のレシピと貧相な冷蔵庫の在庫を照らし合わせ確認。ほうれん草は一昨日の炒め物で消費してしまい、コチュジャンも切れているし、キムチは残りわずか。テーブルのメモ書きが目に入り、銀行にもいかなきゃいけないのを思いだす。

呑気していた自分が100パーセント悪いが、わかっちゃいながらもあわあわして、メモリが極めて少ない自分の脳内に「やることリスト(至急)」なるものを作成し、いそいで自転車のサドルを跨ぎ、ペダルに足をかける。

すると今度は久しく乗っていないので、タイヤの空気がスッカラカン。なんてこった、と自分のナマケモノぶりを罵りつつ、せっせと膨らませ再出発。

銀行で用事を済ませ、スーパーへ。野菜コーナーから。ほうれん草を確保。にんにくをついでに補充。あら、お安いじゃない。卵をかごへ放り込む。続けてコチュジャンも。味噌も赤いのが欲しかったので購入。どうせすぐになくなるアイスコーヒーもこの際だ。買ってしまおう。そうだそうだ、キムチを忘れてた。と引き返し、ようやくレジ。

会計が終わり、持参したトートバッグに、かごの中の品々を投入していると、身体にピシャリと電流が。

「あ!ヨーグルト!

うっかり声を漏らしてしまい、隣で荷物を詰めてたオバさんの苦笑を背に受けながら、ヨーグルトのためだけにレジに並び直し、そこでも店員さんの冷たい目線が突き刺さるのであった。

と、なぜタラタラと私の些末でくだらなさすぎる日常的な失敗談を、恥を忍んで書きだしたのかといえば、別に物忘れの酷さを訴えたいわけではないのです。ただ「ついひとりごとって出ちゃいますよね」というそれだけのこと。

考えごとにはまりこんで、つい気を抜くと、ところかまわずに、ひとりごとをつぶやいてしまう。散歩中だろうと、読書中だろうと、ぶつぶつと、ああでもない、こうでもない、と思いついたら、その端々から口に出して、ふと冷静に帰ると、急に恥ずかしくなり赤面してしまう。白い目で見られているであろうことは薄々感じつつも、さすがに私も人目を多少はばかる、紙切れ程度のデリカシーは持ち合わせてはいるので、迷惑は(たぶん)かけてはいないはずだが。物心ついたころからだとは思うのだけれども、正直いつからこんなおしゃべりなお口になったのか、さっぱりわかりません。

ただ、そうやってひとりごとをしゃべっていると、ひとりでいることへの寂しさのようなものがまぎれるから、というなんとなくの理由は見当がついてはいるのです。

勝手にふるえてろ』のヒロインのヨシカにもそのようなシンパシーを抱いてしまったのですね。

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そもそもこのブログだって「ひとりごと」の延長だし、「ごっこあそび」みたいなもんだったわ

(念のため、白状しておくと、恥ずかしながら、現段階で綿矢りさ氏の原作をまるで読んでいない―いや、正確には「おそらく読んだのだがサッパリ記憶から消えてしまっている」のだが―ので、作中の描写が、大九監督のものなのか、はたまた綿矢氏のオリジナルなのか、判別が付いていない状態です。そのため、もしかすると取り違えている箇所が多々あるのかもしれませんが、そこはどうかご容赦願いたいです。あと時効なはずなので、ネタバレにも目をつぶっていただくとありがたいです)

ノーベル文学賞で話題にもなったカズオ・イシグロの代表作に『日の名残り』というものがあります。かつて栄華を極めた伝統的な英国の貴族へ仕えた執事スティーブンスが、短い旅路の中、自分の人生を回顧していく、という筋書で、アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされており、原作・映画共に名作*1である、という原作というノベルティ付き映像化作品(くどい表現)でも珍しい部類です。

日の名残り』は、事あるごとに手を取ってしまう魅力があります。なぜそれほど惚れ込んでしまったか。それは、一人語りがすぐるくらいのスタイルなのに、スティーブンスが、私たち読者にとって、まるで「信頼のおけない語り手」だからに他ならないんですね。心の底が読めるんだけど、肝心のことは言いません。日本人みたいです。彼は、常にうやうやしく、忍耐力のある、「品格」に忠実な執事であろう、と生涯をささげた1人の人間ですが、同時に、ミス・ケントンという女性への想いや、従事したダーリントン卿に対して抱いている割り切れなさが、チラチラ独白の端々に窺え、日が沈むまでの余生を探求していく旅路の道すがらには、過去への後悔や歴史に引き裂かれた悲しみが、ポツポツ顔をのぞかせています。主人のダーリントン卿を「遠慮深く謙虚な性格」と評しながら、そこにはどこか彼を慕ってきた自分への懺悔のような意志を感じることができ、読むたび抱く感想が自分の心中でコロコロ変わるので、全く飽きることがないのですね。 

そんなスティーヴンスとは違って、謙虚さや忍耐力とは無縁ですが、信頼のおけなさについては全く負けていない語り手が、『勝手にふるえてろ』のヨシカなのです。

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ではこの「根暗オタク」が過ちを過ちのまま、反省とは無縁のまま、大逆転してしまう、新世紀のピカレスクロマンについて

勝手にふるえてろ』は、女性が1人称の独白のような、文体を取っており、太宰治の『女生徒』の系譜にあります。主役であり、語り手となるヨシカは、中学生の頃から脳内でパンッパンに膨らませてきた「イチ」という男の子に思いを寄せ続け、現在は経理課に勤務する、独身女性です。同僚の来留美は結婚相手を捕まえようと、虎視眈々としていますが、ヨシカはお構いなしに「イチ」とのつながりを糧に生きています(痛いよ!)。そんな中で、同期入社したすこし(いや、かなりか)間の抜けた霧島から告白を受けるんですね。もちろん、ヨシカは彼にまったく好意は抱いていないのですが、生まれてこの方、異性との告白はおろか、恋愛経験もロクにないですので、浮かれまくります。霧島くんを、(生意気にも)「イチ」の次の2番目、ということで「ニ」と名付け、浮かれまくるもつかの間、そもそもヨシカには全くその気がないので、「ニ」の猛烈なアタックを受けるも気乗りしません。逡巡してるうちに、あることで死にかけたことを機に、一念発起し、どんなこと(本当にゲスい汚い手を使う)をしてでも「イチ」と逢うべく、あの手この手を尽くしまくり、どうにか再開しますが、ここでまたとんでもない事実が発覚して、ヨシカは失意のどん底へ落ちていくんですね。さて、ここからいかに大逆転するのか、というのが主なあらすじですが、まあ大体は書いてしまいましたね。

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先にも書きましたが、この映画は、1人称の告白形式を採用してまして、基本的に主人公の語りによって、ストーリーが進行し、世界がそれに合わせて動いていきます。主人公が語りをすると、映画のスピードが緩慢になってしまいますので、割とよくやっているのが、早口にしゃべらせて、細かいカット割りや時系列を複雑化させることで、スピードを上げようというもの。あと第4の壁を超えさせて、観客に語りかけることで、油断させないようにしたり。

しかし、『勝手にふるえてろ』で採用されたやり方というものが面白く、ここではヨシカの身の回りの人や物が、彼女の意志によって動いていきます。何を言っているんだ、ということなのですが。

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松岡茉優、オンステージ!! 

彼女の気分が舞い上がれば、通行人A~Zが拍手で祝福し、妄想の恋に患い涙をすれば、ウェイトレスが胸の内を聞いてくれる。同窓会で「イチ」を奪われそうになったら、天ぷら屋のおばちゃんが檄を入れてくれる。小説では(読んでないのであくまで”おそらく”ですけど)セリフだけでなく、鍵カッコのない地の文にもダラダラと漏れていたであろうヨシカの心中を、彼女の「世界」の中に取り込まれてしまった人々との会話によって、感情を暴露(表向きは本当のことを言っていない可能性がある、というのがポイント)させていくのですね。このスマートな手さばきだけでも、良い映画だということが確信に変わりますし、本作が十分に優れた文芸作品をもとにしているのだなということを認識できます。大九監督の策略がしまったわけビシッとハマってしまったわけで、すごく素敵な相乗効果をもたらしているのですね*2

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それに、なんといっても、この「ひとりごと文学」を映画として成功に導いた最大の立役者は、他の誰でもなく松岡茉優でしょう。彼女の演技力の習熟度合いには舌を巻いてしまいました。信頼できない語り手・ヨシカに対し、全面的に信頼できる若き名女優・松岡茉優。見事なまでの松岡茉優オンステージっぷりで、この人さえいれば、どんな杜撰な内容でも、パイロット版くらいのクオリティにアップするのではなかろうか、というほどの安定感。同世代の日本の女優の中でも最強クラスの傑物です。なによりも表情筋のコントロールが群を抜いて素晴らしい。高揚すると顔がパーッと明るくなり、失意のどん底に堕ちれば顔から表情がスッと消え去る。キラキラとした天真爛漫な部分から、挙動不審な所作まで、わざとらしさや「演技できるでしょアタシ」という自己主張無しに、顔のしわから目のクマまで自由自在に(たっぷりの茶目っ気をもって)キャラクタの感情を説明できる。到底できることではないです。

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この優れた信用できる若き英才・松岡茉優が演じる、ヨシカという女性は、激しい自己否定・自己卑下をやめられず、他人の善意を理解しておきながら、あれこれ妄想が勝ってしまい、閉塞的に自分を守るための心理的なシールドを張ってしまう、内向的で歪んだパーソナリティの人物です。私なんかは、「顔が違うだけで自分と変わらへんやん」と見ていられなくなるほどなのですが、人によっては激しい嫌悪感(あるいは同族嫌悪なのかも)を起こすでしょうし、彼女が最終的についたある嘘や親しい人までを巻き込む暴走っぷりは、褒められたものではありません。SNSを散々こき下ろし「日記は恥」と言いのけた後に、偽りの同窓生のアカウントを悪びれることなく騙り、自殺願望まで垂れ流し、挙句「あんた人気あるねえ」と恨み節まで言い放つ、手段の選ばなさ。告白してくれた「ニ」を、そっけなく振り回し(まあ半ばストーカーのように付き纏う「ニ」も悪いのですが)、散々煮え切らない態度を示しておきながら、自分の怒りをヨシカ自身の写し鏡的存在である彼に八つ当たりする辛辣さ。ただ、そうしたなりふり構わぬ暴走含め、決して我々とそう隔たりのある感性の持ち主ではなくて、むしろ、誰にでも持ちうる「ねじれ」なのかも、と思わされたりします。彼女は一つの凡例にすぎなくて、どこにでもいるポンコツ極まりない社会不適合者なんですね(耳が痛い)。ある意味、ここまで素直に感情をゴリゴリ表に押し出し行動に移せる、というのは羨ましさすらありますが。

こうした人生のどこかで「ねじれ」てしまった、絶滅危惧種女子の生態系を、かつてアンモナイトが存在した古代へ思いを馳せて、文科系への毒をインクにたっぷりにじませ、鋭く突きさすようなクリティカルな筆舌と女子への愛おしいまなざしを交えながら、精緻かつ乱暴に描いていくんですね。汚いうがい、詰め噛み、吐き出される唾、など綺麗ではないのだけれど、ものすごくリアルな「女の子」という生き物へ、監督が内で培ってきた愛情がむき出しになっているようです。女性に対する底知れぬ全面肯定的な母性すら感じます。

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やめろ!!!

ただ、大九監督、ただ甘やかすだけじゃありません。潔いほどにフェアなんですね。というのも、絶え間のない「女子」への愛情表現のゆたかさだけでなく、しっかり痛烈な「しっぺ返し」を欠かしません。

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痛すぎるよ………

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Base Ball Bear小出祐介吉沢亮をたすと北村匠海くんが出来上がるんですね

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ヨシカは、学生時代、誰からも見られていないような”幽霊”側の存在だったので、「視野見」というものを習得しました。メガネの奥の黒目をそのままに、視野の端だけで教室の「イチ」くんを見つめ続けてきたわけです。放課後に居残りで反省文を書かされている「イチ」にわざと間違えるアドバイスを授けたり*3、体育祭でこっそり「僕だけを見て」と言われたりしても、ヨシカはずっと視野の端でしか見続けない。正面から現実の「イチ」と接することを拒み続けてきたのです。彼女にとっては、脳内の王子様のような理想像こそが「イチ」であって、現実の一宮くんと頭の中の「イチ」を混同させたままなんですね。

教室の隅で培われたヨシカの空想癖は、名前いじりにも発展します。「イチ」に続く2番目の男、ということだけで、ぞんざいに「ニ」と命名。職場のサスペンダー上司に「フレディ」という渾名をつけて遊ぶ(ここで「We Will Rock You」のリズムが鳴らされるまでネタが細かい)。彼女にとって「名前」なんてものはどうでもよくて、自分と「イチ」が世界に存在すれば、他の人々はエキストラにすぎないので、適当に名前をつけちゃう(唯一といっていいくらい、ちゃんと名前を呼ばれているクルミちゃんが、ヨシカにとってどういう存在なのか、というのも、この物語の女子ならではの友情ともライバルともいえぬアンビバレンスな関係性が感じられます)。

そして、ガッツリと非道極まりない手段を使って同窓会に呼び寄せた「イチ」とようやく接近するチャンスを得たヨシカは、それまで黒くくすんでかかとが踏まれた薄汚れた靴から、ぴかぴかのハイヒールに履き替え、女の顔になります(ここでするりと包帯が外されるショットはエロスを感じました)。もう、ウキウキワクワクルンルンです。

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ですが、そう幸福が続くはずもなく、一気に谷底から伸びてきた暗黒に足を絡めとられちゃうんですね。ヨシカは思い切って、学生時代から描いてきた「天然王子」なるキャラを、モデルである「イチ」本人に見せ、ようやく生身で交流を図ろうとしますが、驚愕の事実を告げられてしまいます。というのも、この「イチ」というのは、ヨシカにとって人生の一大テーマであったのとは真逆に、一宮くん本人にとっては呪いそのもので、呼ばれたくない名前だったんですね。しかも、一宮くんは「ヨシカ」という名前すら覚えていない。「イチ」という呼び名自体が、とんでもない悲劇を招いてしまうだけでなく、自分の存在を消す「視野見」という行為までもが彼女の恋の破滅を引き起こしてしまった。膨れ上がった風船が、針でひと思いに突き刺されたような萎み具合。多少の自業自得感はあるとはいえ、なかなかに惨い仕打ちの連続。この事実を知らされる前後の落差の激しさは、胃がキリキリします。布団焼失事件からの「前のめりに死んでやる」という決意と共に、やっとの思いで辿り着いた「イチ」との逢瀬に気分はクライマックスまで高ぶり、ミュージカル女優さながらの闊歩も空しく、これまでの妄想がただの「ごっこ遊び」でしかなかったこと、周りの誰の視界にも自分は映っていないということ、自分がただのエキストラであることが一気に押し寄せます*4。バスの中は一人、振り返っても誰もいない。近しいと思ってきた人は、現実では距離の離れた言葉も交わしたことのない赤の他人だった。「世界」が自分に気付かなくなり、会話を交わしてきた人たちが、失恋と一緒に遠ざかり、オカリナの「名前に支配された人生なんです」で完全にトドメです。自分のためだけに立ちあがってたミュージカル世界が、非常にイヤな皮肉として生きてくるんですね(『ラ・ラ・ランド』よりもうまい)。

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これでヨシカへの「しっぺ返し」は終わりません。顔が水で濡れたアンパンマンをさらにドブ川に叩きこむような容赦のなさ。妄想から醒め、現実と向き合おうとします。いつもゴミを捨ててくれるおばさんに、憐憫の言葉をかけますが、案の定冷たくあしらわれてしまう。安物のとってつけたような薄っぺら以前には、当然見透かされますし、結局彼女は自分が大事であるという状態から抜け出しきれません。「イチ」の夢を忘れようと、ズルズル延ばしてきた「ニ」との恋愛にもどり、つかの間の幸福を味わうも、クルミの気遣いがヨシカをまた狂わせてしまうんですね。クルミなりに掩護射撃をしたつもり(ヨシカは自分が恋愛未経験ボンクラ処女だと強く自覚しているだけに、それを「ニ」にバラされるということは、彼女の自意識に深い深い傷をつけるんですね)で、本人は気遣いのつもりなんだけど、それも善意の皮を被った嘘くさい同情でしかなく、またしても残酷な「しっぺ返し」です。

「わからないから好き」というので頷きまくっちゃうよね

こうして怒りにより歯止めが利かなくなったヨシカは、クルミへ復讐を仕掛け、会社を辞めて、自分で窮地に追い込んでしまう。一度リアルに死に掛け、「イチ」という妄想とも別離し、そしてまた息もつけない状況に追い込まれる。おそらく、普通のありきたりで、良心的なお話ならば、このあとヨシカはクルミへ自分がしたことを告白し、「ニ」への仕打ちを謝罪するのが常でしょう。

しかし、ヨシカはそんな道を歩まず、また「ごっこ遊び」を選ぶんですね。もうとんでもなくワルです。ワルですが、どこか清々しい。これがこのお話の不思議なところ。途中までは、ボンクラ処女が「ごっこ遊び」と折り合いをつけ、現実と迎合していくお話を想定していましたが、これがとんでもないピカレスクロマンでした。やめるどころか、「ごっこ遊び」を選択し、ますます堕落していく道を邁進していきます。この終わり方、やはり『スイス・アーミー・マン』と比較しないわけにはいかないのですが、共通するところが多くあると思います。

そこで雨に濡れた赤い付箋が濡れ、処女膜(概念)が破られるエロスが、ピカレスクとして生きる「勝手にふるえてろ」宣言と共に、バシッと結合するあたり、めちゃくちゃ気持ちよかったです。痛快の極み。

彼女がこのまま絶滅危惧種として生き延びるのか、はたまたもう一度盛大な「しっぺ返し」を食らうのか、ヨシカの未来が気になるところであります。

<以下、爆笑&憤死の怒涛のクライマックス>

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<余談>

黒猫チェルシーはデビュー時にすごく聴いてて、カッコいいバンドだなあ、と惚れ惚れしたものの、一時は影を潜めてしまって心配してたんですが、渡辺大知くんの活躍っぷりにホッとした元ファンでした。コンスタントに役者やってたとはいえ、ここまで引っ張りだこになるとは。銀杏の峯田君もだけど、やっぱり朝ドラの影響ってデカいのね。


黒猫チェルシー - 嘘とドイツ兵(PV)

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 <おしまい> 

 

*1:映画の方は時間の制約上か、恋愛物語としての色が濃いが、それはそれで素晴らしい映画なので、是非ともお時間に余裕のある方は比較してみていただきたい

*2:マッサージ師に愚痴るあたりは坂元裕二最高の離婚』を彷彿

*3:あんな些細な出来事だけを精神的なつながり、と呼ぶのが太宰的なんですよね

*4:映画『her』でホアキン・フェニックスに告げたルーニー・マーラの手痛い一言を彷彿しましたが、ヨシカは「ニ」と恋愛関係にあるワケではないので、よりヘヴィーかもね