ジェーン・ドゥの解体新書(野木亜紀子『アンナチュラル』第1~2話)

「名前」のない毒

み-こと【尊/命】

 1⃣⦅名⦆上代、神や人の呼び名の下に付けた敬称。「…のみこと」の形で使う。

 2⃣⦅代⦆二人称の人代名詞。

かい-ぼう【解剖】 

 ⦅名⦆スル

 1⃣生物体を切り開いて、内部の構造、あるいは病変・死因なども観察すること。腑分け。解体。

 2⃣物事を細かく分析し、その因果関係などを明確にすること。「事件をーする」「真理ー」

ふ-じょうり【不条理】 -デウリ

 ⦅名・形動⦆

 1⃣筋道が通らないこと。道理が合わないこと。また、そのさま。「ーな話」

 2⃣⇨実存主義の用語。人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。

  ⇨カミュの不条理の哲学によって知られる。

 ⇨ーえんげき【不条理演劇】 *1

世の中には、言霊というものがあるらしい。

自分は世間一般の中では、信心深さとは比較的に無縁の人種(とりわけ日本という無宗教の社会において)で、融通無碍というべきか、罰当たりというべきなのか、クリスマスもお盆も平等に取り扱っている。そんな人間でも、過去にふと言ったことが、後々に尾ひれをつけ現れるような場面に立ち会おうと、言霊というヤツを思わず信じてしまいそうにはなる。何かをふと思いついて口にしたことが、様々な意志を身に纏って、実体化してしまうような感覚は、誰しもが感じることではないのだろうか。

悪魔祓い、という仕事もそんな言霊とやらを武器にしているようだ。(映画『プリ―スト 悪魔を葬る者』なんかは近年豊作な韓国映画の中で埋もれた良作なので、参考になるはずだが、)悪魔を祓う際に必要とされるのは「名前」である。悪霊は姿どころか「名前」も知られずに、現実に融けこみ、悪行を働こうとする。そのため悪魔は『名前』が知られることひどく嫌う。知られていない、ということは大いなる力になりうる。つまりは「名前」を知られることは、己のアイデンティティの根源を解明されてしまうことなのだ。悪魔からすればたまったもんじゃない。商売あがったりである。彼らは、人間が定義できる善悪を超越し、静かに息をひそめ、真に「名前」を知られることもなく、執拗に牙をむく機会を窺う。狡猾なのかもしれないが、これは権力を維持するためには実に合理的で、正しい。

(どちらも齧った程度なのだが、『Fate/Grand Order』でも『血界戦線』でも、自分の真名を知られることは服従権や封印に関わることで、自ら明かすことはあまり為されていない。諱を知られてしまえば、過去のアーカイブからすべてを検索できてしまう)

小沢健二いわく、人に見られたい権力者はアマチュアだそうだ。知られていないことで、彼らはバリアーを張っているのかもしれない。僕らが雨の中で傘をさすように。

ともあれ、モノにはすべて「名前」がある。悪魔ですら、持っているのだ。

そもそも、人という生き物は、モノに「名前」を付けることで、一目見ただけだと、不可解で不条理な現象を理解し、知恵として取り込み、生活を築きあげてきた。モノに「名前」をつけて認識することはヒトしかやらない。他の動物では、数種類のカテゴライズで済むものを、「名前」で選り分け、複雑な分解能を手にしてきた(だからといって、人間の方が理知的で優れた生き物だ、ということではない)。誰もが一度は幼い頃に見聞きしたはずであろう、ヘレン・ケラーの逸話がいい例だ。目も見えず、耳も聞こえなかった彼女にとって、我々が日常で何気に目にするありとあらゆるすべては、恐怖の対象にすらなっただろう。そんな彼女が、身の回りのことを自分の感覚として理解するための第一ステップは、「名前」がある、ということを知ることだったはずなのだ。そうすることで不思議と不安を排除て、初めて己の知覚で感じよう、としただろう。人間のすべての思考のはじまりは「名前」をつけるところにあるともいえる。逆に言えば、「名前」を知ることは、その事象の芯を知ることに等しいことなのかもしれない。

何も持たずに産み落とされた赤ん坊も「名前」を授かることで、この世に生きるための秘密のカギを得る。「名前」を持つということは、歴史を持つことでもあり、それがある限りは人格・性格からありとあらゆる名声まで、すべてをその「名前」に封じ込められている。だから、その「名前」に則り生きることは、ある意味では堅苦しく窮屈で偏狭に見えるが、非常に簡潔で美しい。

こういうことを考えていると、自分を囲むものが、まるで不可視の巨人によって組み立てられた、幻想のパズルのように思えてくる。

人は死を恐れているのではなく、死に辿り着く生の過程を恐れているのであって、死した後に「名前」を忘却されることを恐れているのではないか、と思うのだがどうだろう。灰になろうが、土の下に埋められようが、骨になろうが、死して消えるのは存在ではなく、それまでに記されていた「名前」だ。だから、ご丁寧に墓石に彫ってまでこの世にしがみつこうとする。神さまの長い目で見れば、ごく一瞬の束の間に過ぎない私たちの世界においては、「名前」で認識する分解能の生物にとっては、これはごくごく自然な感情だ。

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アーカイブからの解体新書

監督・野木亜紀子×主演・石原さとみ×演出・塚原あゆ子、という盤石の布陣で届けられるのは、2018年1月から始まったTBSの冬ドラマ『アンナチュラル』だ。

シン・ゴジラ』のときもだったが、どうも石原さとみがキャストに載っていると、少し期待値が下がってしまう。もちろん、バラエティ番組等で見る、石原さとみという女優のパーソナルは好ましいもので、決して個人が嫌いなわけではないのだが、未だに『てるてる家族』のイメージが強かったり、CMで見せる演技が安っぽく見えたりして、どうも食指が伸びにくい。

しかし、各作品でムラこそあるが、『アイアムアヒーロー』『掟上今日子の備忘録』という2本の満足度の高さから、野木亜紀子という人には一定の信頼を寄せていて、優れた実写化請負人スペシャリスト書き手という認識なので、そんな女史が原作ものではなく、法医学モノという難易度高めのジャンルでオリジナル作品を書いたということで、「おおっ!」と驚いた。

SAKEROCKや『ばかのうた』時代からの、非常に面倒くさいタイプの星野源のファンであるがために、『逃げ恥』をしっかり見れていない…………野木先生、お許しください!とか、チャージマン研っぽいことをほざきながら、見始めた期待値微妙の『アンナチュラル』、これが滅法面白かった。

(そういえば、確か月9の枠で、瑛太が主演で『ヴォイス』という法医学性のドラマをやってたけど、アレにも石原さとみが出ていたな。アレはいまいちだった。全話見たけど)

死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (ブルーバックス)

死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (ブルーバックス)

 

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これまでの日本のドラマ史が築き上げてきた知恵を結集したかのような内容である。このクオリティが毎週続いたら、驚異的な筆力と称えざるを得ないし、1・2話だけでも傑作ドラマに位置づけることが可能なほどに、高密度&高水準なドラマに仕上がっており、めちゃくちゃすごいことをしているのに、ギミックに溺れていないさりげなさも野木亜紀子という脚本家のキャリアハイを裏付けているはずだ。

舞台は、神倉保夫(松重豊)が所長を務める、UDI(=Unnatural Death Investigation Laboratory)という設立して間もない死因究明に特化としたラボ。主人公の三澄ミコト(石原さとみ)は、ここに所属する法医解剖医で、彼女が率いる三澄班には、臨床検査技師の東海林夕子(市川実日子)と、バイト医大生で記録員の久部六郎(窪田正孝)。ミコトの率いる班とは別に、中堂系(井浦新)がリーダーの中堂班が存在し、常時不機嫌な彼のもとには坂本誠(飯尾和樹)という臨床技師が常に戦々恐々。1話完結のスタイルで、この5人が主体となって様々な死因を究明し、未来の誰かを救命していく。

先進国で最低の解剖率を誇るらしい日本で死因がいかに究明されていないかを問う試みは、海堂尊の一連の書籍や『死因不明社会』等で行われているのを度々見かけていたので、テーマ自体の目新しさはないのだが、いくつかのフレッシュなアプローチによって、実に生き生きとした法医学ミステリに生まれ変わっている。

まず、このドラマ、根幹である「解剖」というモチーフ選びが秀逸。野木亜紀子さん、相当に熱心なドラマウォッチャーなのであろう。音楽において、サンプリングという言葉がある。ギターフレーズやドラムを過去の曲から抜き出し、新たな音楽へ移植する手法だ。『アンナチュラル』も実にサンプリング的で、様々な場面で半ば意図的に過去の国内外問わない作品群へのオマージュが盛り込まれている。火葬国家であることをネタに、『ウォーキングデッド』や「骨で全部分かればいいのに」と『ボーンズ』を持ち出したり、『科捜研の女』や『臨場』といったTBSとは他局であるテレ朝ネタも持ち出すほど。こういった小ネタだけでなくとも、UDIラボの面々や脇を固めるキャストたちのキャラ立ち及び配役の巧さは、ドラマフリークである野木亜紀子の意向を大いに汲んだ結果だろう。そもそも物語はいつだってで、古くからある物語を「解剖」し、見分することで、新たな生体へとつなぎ合わせてきたのだから、完全なオリジナルなどは存在しないのだが、ここで「解剖」というモチーフを持ち出したことで、完全に勝ちなのだ。

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名前のない悪魔への宣戦布告

「解剖=死」というテーマを真ん中に添えておきながら、決して重苦しさを失わずに、意地の悪い視聴者からは一歩間違えれば不謹慎と捉えられかねないくらいに、「食べること=生」に忠実。

1話の更衣室で始まる冒頭、響きがチャラいというところから、異性間交流会という名目の合コントークから裏テーマにある「名前」というキーを盛り込みつつ、ミコトが貪り食うのは朝から脂っこい天丼。法医解剖医という「死」が傍に控えた特殊な職種にありながら、彼女たちは普通に恋をして、普通に食事をする。どこまでもしぶとく「生」にしがみついてやろう、という野木さんによる高らかな開幕宣言だ。あんパンのくだりは、ちと出来過ぎていて、あざとい気もしたが、この作品の根幹に流れる「生」への執着が彼女たちをああいう風にさせたのなら致し方なし。あんパンを文字通り貪り食う石原さとみの所作はナチュラルで、「食べること=生きること」に気付かせてくれる。こんな豊かな表情を持った女優だったのか、という発見もあるが、おそらくこの「演技していない演技」感は塚原演出の賜物だろう。

集団自殺に見せかけた殺人がテーマの第2話でも「食べること」への執着は健在だ。むしろより執念のようなものが表層に出ている。あんパン同様、バナナをムシャムシャ(という擬音が様になる)食らうミコトの姿に加え、窮地に陥った際の

三澄「明日何食べよっか」

は、まるで開高健のような「食べること=生きること」への執念を感じさせた。事件が解決した後の

久部「三澄さんは、絶望とかしないのかな」

東海林「ミコトは絶望しないのかって言ってるよ」

三澄「絶望?絶望してる暇があったら、美味いもの食べて寝るかな。行こ!肉!

というやり取りなどは、もはや"宣言"を超えて"宣誓"といった趣すらある。人間の欲望やどす黒い感情が、ありとあらゆる形で迫りきたとしても、なお「生」しがみ続けるための一本木を立てる高らかな宣誓。この宣誓に運ぶために「名前」のない少女の、自分の命をかなぐり捨てでも、大切な誰かのために紙切れを飲み込んで、救おうとする、一見不合理だが、かすかな一本綱を頼りに「生」へのバトンを繋ごうとした終着へ感嘆した後のミコトの

「人間は、意外としぶとい」

という言葉も、ただの発話ではなく、彼女なりの「食べること=生きること」祈りなのだと思う。当初はダイイングメッセージだったものが、「生」の便りの綱になる、という作劇も

「法医学は未来のための医学」

というミコトのメッセージに結び付ける手腕も、これぞ野木亜紀子クオリティといった具合だ。拾われるはずになかった運命の屍を拾い上げ、未来を、生を、肯定していく。淡々と、日常を送りながら。

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そして、このドラマには「名前」というモノが裏テーマとして潜んでいる。長ったらしく滔々と語った前置きでも述べさせていただいたように、「名前」というモノは存在と同義にであると捉えることも可能である。「名前」を奪うことは、存在を個人から剥奪することに等しい。 『アンナチュラル』の三澄ミコトも、「名前」を子供の頃に本人の意図を無視して剥奪された主人公だ。それも「ろくでもないクソ親」によって。奇しくも、坂元裕二『anone』の主人公である辻沢ハリカも「名前」を奪われているのが、まあここには触れないでおこう。

1話は、『名前のない毒』と題づけられ、劇薬毒物を取り扱う部署にいる被害者の恋人に容疑がかかったかと思えば、二転三転し、被害者が海外へ出張していたことが浮かび上がり、MERSコロナウイルスであることが判明し、感染源を隠蔽しようとする病院、そして異国からウイルスを持ち込んだ被害者への不特定多数かつ不可視のバッシング、といった巨大な「名前のない毒」が立ちふさがる、というミクロ→マクロへの展開とテーマ回収は流麗だ。これらの事件の裏にいる大きな匿名の悪魔に対峙したときに、

三澄「協力すれば無敵だと思いませんか」
中堂「無敵。敵は何だ」
三澄「不条理な死」

と「不条理」という諱を読み上げ、宣戦布告を突きつける。

2話では、座間市の事件を彷彿とさせる集団練炭自殺(事件が発覚する以前に野木さんは脚本を書き上げていたそうなので、彼女の衝撃はさぞかしすごかっただろう)の中にあった凍死の死体から、もう一人の被害者が出てくる、という筋書きだが、そこには「三毛猫」と名乗る少女が、偶然出会ったもう一人の被害者を何とか救済しようとした魂を掬い上げるストーリー。集団自殺ではなくスーサイド・マーダーだ、と鋭く指摘したミコトの「名前」に対する反応も見逃せない。未来への紡ぎ手としてミコトと「三毛猫」が次第に重なっていく作劇はとても美しい。

「三毛猫」という少女の本当の「名前」は明かされることはないが、確かに彼女は存在して、その存在を無駄にはせず「生」に繋ぎとめようとするミコトの姿は、脚本家・野木亜紀子ともオーバーラップしているようにも見受けられたのだが、さすがに深読みだろうか。

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キャラの立たせ方と、見事にマッチしたキャスティングのツボの押さえ方も最高に効いている。一筋縄ではいかない性格と人懐っこさを兼ね備えた見事な人選。主役の石原さとみは現時点でキャリアハイなのは間違いなく、タイトルと裏腹に演技は滑らかでナチュラルだ。表情筋の使い方がすごく上手になった。じっと見つめる視線の中に、複雑な感情を織り交ぜる演技もこれまでになく新鮮だ。脇に佇む役者たちもイキイキしている。『シン・ゴジラ』のカヨコ&ヒロミにムズムズしたファンにはたまらない、生活感がハンパなく、斜め45度からのショットが美しい市川実日子。「チゲ」という言い方が無駄に可愛い、二重スパイ(やっぱりな!)のバイクが無駄に様になる医大生ネズミ窪田正孝。ニコニコしながらも策略家で腹の読めない、メシを食わない井之頭五郎ではなく松重豊。不機嫌キャラだがアッサリツンデレがばれる井浦新(『解体新書』を読んでいたのはギャグだったのだろうか)。おびえている姿が可愛げのあるので、もっといじめられてほしい飯尾和樹。クズが似合う池田鉄洋北村有起哉。胡散臭さマックスの葬儀屋キョウリュウレッド竜星涼

米津玄師の主題歌も今作の「泣かせ」要素に大いに貢献していて、『打上花火』に続いてタイアップ職人としての敏腕を発揮している。

物語自体は実にエモーショナルで、役者の演技(ゲスト出演で参加した我らが乃木坂46松村沙友理も普段のポンコツさからは予想を覆されるいい演技)も心に響くのに、当事者の深いトラウマを抱えた三澄マコトは実に淡々としている。

そして、それがいいのだ。

*1:大辞泉より引用