ふしぎなwitchcraft

評論はしないです。雑談。与太話。たびたび脱線するごくごく個人的なこと。

自宅書架整理内職備忘録 1頁目 佐藤正午『鳩の撃退法』

 

序にかえて、真似事のようなものを。

今作をこのへっぽこブログの読書備忘録の第一弾に選ぶのは、いささかリスキーで、いささか奇を衒っているような気もしなくもないし、さっきから、いささか「いささか」というフレーズを多用しすぎているように思えてならないが、まあどうせ誰も読まないので気にしなくてもいいのだろうか。

普段から、本を読む時にノートにメモを取る癖があり、それはいつも成文化されず、言葉が細切れになって、紙の上を方々漂っているだけのものなので、まあもともとそういう自己確認の用途のためのメモが、そのまま宙を漂ったままでもいいのだけれども、せっかく一冊読むごとシコシコ紙に書いているのんだし、それじゃあ成文化したらいいのでは、とここまで軽いノリ(まともに考えだすとノリってそもそもなんなんだろうかと考えだしてしまって、ノリというのはつまり現代では「雰囲気」とか「空気感」とかそういったニュアンスで使われていると思うのだが、たまに「勢い」だの「フィールング」だのといった、これまた微妙に違うニュアンスで使われているのもあって、これもなんだかあやふやで釈然としないのだが、というのも、そもそもノリというのは、所謂音楽での「リズム」という意味合いで、海の海苔とや接着のりと比べるためにカタカナにされたのであって、そういうあやふやなところが現代日本の国語力の低下なのではないか、と自分の思考が果アビの蝿かけたじいさんのような思想に着地しそうになる目前で、あれ、僕は今何を考えているんだっけ、と冷静になったところで、再び今自分はブログの書きだしなるものを書いているのだということに気付き、再度PC画面に自分の視線をやる)でWordに下書きを書いてみたのですが、いやそれならブログなんてわざわざ「不特定多数の誰か」という不確定な存在に委ねてしまわず、別のノートでもこしらえて手元でシコシコやればいいだけの話じゃないか。えっと、何を書こうとしたんだっけ…………

といういささかとりとめのない、津田伸一という直木賞も二度も獲得したらしい作家の文章をまねてみたのですが、やはりこれはなかなかに上手くいかないですね。こんな感じの文章が延々と続くんですから、いかに「語り」が難しいものなのか、骨身に沁みて理解できました。

(ちなみに、この津田伸一という作家は、佐藤正午『鳩の撃退法』の書き手であり、主人公であり、そして唯一本名で登場する男であって、一応はフィクションです)

 

「わからない」が「おもしろい」、異常にずば抜けた「語り」および「解説」のスキル

 

はい。ということで、大変お見苦しい文章を読ませてしまったことへの謝罪と共に、上の駄文を読んでいただければ、本稿で取り上げる(津田伸一ではなく)佐藤正午『鳩の撃退法』ののんべんくらりとしたアクロバティックな「語り」がいかに超絶技巧なのか、ご理解いただけるかと思います。

(以下、『鳩の撃退法』は『ハトゲキ』で)

平積みにされてある『ハトゲキ』のタイトルに惹かれ、1度目に取りかかったとき、下巻の残り300ページほど余ったところで、私事でバタバタしてしまい、おじゃんになってしまったので頓挫してしまったのですが、ようやく時間に余裕ができ、2度目に読了(今度は4日で)したとときには、その圧倒的なおもしろさとうまさに驚愕し、そして、依然に一息で読み切れなかった自分の読書力(どくしょぢから)のなさを恥じ、こんなに面白いのならなぜ一気呵成に読み切れなかったのか、とさらにその恥から来た怒りに変貌を遂げ、最終的にその怒りはAmazonレビューのつまらぬリテラシーの低いだけの感想に「このわからずや!」と八つ当たりすることで解消されるのでした(めでたしめでたし)。

さて、肝心のお話というと、筋自体はさして難解ではなく、かつて直木賞を二度も獲得した小説家で、今はデリヘル(高峰秀子などの女優を名前にするあたりセンスがいい)を送迎するドライバーとして、女の家を転々と居候するボンクラ津田伸一*1が、呑気に日常を送っているといつの間にかいくつもの事件に巻き込まれていて、それを自分で小説にしようというもの。一家失踪事件、懇意にしていた古書店店主の残した大金、贋金事件、とすべてに関わってしまっていた津田が、裏社会の”ある人”に眼をつけられる羽目になり―というストーリーそれ自体は、決して特殊というほどでもない(まあ、もちろんこれだけでも十分に面白いのは面白いですよ)。

さて、それでは『ハトゲキ』の何がそこまでイレギュラーでエキセントリックでハットトリックなのかといえば、先から述べてあるように「語り」の類稀な凄まじさ、にあるんですね。《AがあるからBが起こってCに結び付く》という一直線のラインが存在するのではなく、《AとBとCとDとEとがあるんだけど、それは全部もとはαであって》みたいなお話。形式として、語り手である津田伸一という小説家が、自分の身に降りかかった災難を、振り返りそいつを小説にする、というもので、最初に「この物語は、実在の事件をベースにしているが、登場人物はすべて仮名である。僕自身を例外として」と『ファーゴ』のような宣言があるから、本来はこの小説内で一番「信頼」できる存在というのは彼でないといけない。しかし、この津田という男、まったく信頼できない。なんせ肝心のその書き手が、フィクションとノンフィクションとメタフィクションをグチャグチャにかき混ぜてしまう。過去にあったという実際の事件をネタに、自分の身に降りかかった災難を混ぜ合わせ、「もしあのときこうしていたら」という空想のもとで、津田はこのお話を綴っていくんですね。大体、そもそものスタートラインで、彼はしくじって出遅れているので、常に事件から遅れて、一歩引いた観察者にならざるをえない。そんでもって、しょっちゅう話が横道に逸れるわ、しかも、時系列はグチャグチャなんで、読み手は行きつ戻りつを繰り返さないとならず、とても読みやすいとは言いがたい。いくつもの事件が絡み合っているのに、過剰に語りが多いので、伏線が回収されるかも怪しくなります。

それでも、しっかり読ませてしまうんですね。不思議です。なぜそんなに「読めて」しまうのか。これはもう「語り」が異常だから、という説明しか付かないように思います。ストーリーが凡庸(いや凡庸じゃないけどね)でも、その話と話のピースを結びつける糸の部分が強固に絡み合っていて、そこを解いていくのが楽しい。あと主役を張る津田もですが、脇にいるキャラクラもいちいち魅力的です。突出した英雄のような存在は出てこないですが、そういうどこにでもいる人だからこそ群像劇として読ませる。会話劇として楽しませ、群像劇としてきちんと成立させながら、その実「小説論」でもある。これはただならぬ才能です。

この「小説論」は、村上春樹セルフパロディ大作ともいえる『1Q84』でも俎上にありましたが、『ハトゲキ』の方がスキルのアブノーマルさが格段に高い。読まないと伝えづらいので、この「おもしろい」という感覚をどう翻訳するか、むずかしいです。レイモンド・チャンドラーのようでもあり、トマス・ピンチョンのようでもあり、サリンジャーのようでもあり、伊坂幸太郎のようでもあり、筒井康隆のようでもあり、町田康のようでもあり、タランティーノのようでもあり、コーエン兄弟のようでもある。近い作家を挙げると、いくらか浮かぶのだが、しかしこれはもう法ではなく、圧倒的にオリジナル。入れ子構造が過ぎると、読み手は裏をかきそうなもんで、嫌みに読んでしまって退屈しがちですが、そうはならないのがハイパー。とにかく、文体がハイパーとしか言い表せません。言い表せねえのに、つらつら駄文を書くなッつう話なんでしょうけど、読むとあそこがどうで、とか話したくなる欲求にかられるほどに、脳ミソ中がクエスチョンで埋まります。そして、その「わっかんねー!」という感じがたまらなく「オモシロッ!!」に結び付く、アハ体験。いや、ここは「ほえ」という表現が適切なのでしょうか。あの絵柄の違うジグソーパズル5つほどをばらばらのピースで適当に組み上げたら、まったく見たことのないミニチュア建築が出来上がってた。みたいな感覚。二度読み、三度読みで足りるのだろうか、とまた1000ページ(単行本)に挑もうと懲りずに振り回されようとするんですね。ほえ。

ねえ、津田さん?

 

<関連作品> 

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

 
鳩の撃退法 下 (小学館文庫)

鳩の撃退法 下 (小学館文庫)

 
エロチック街道 (新潮文庫)

エロチック街道 (新潮文庫)

 

<おしまい>

*1:自分の脳内では高橋一生松田龍平を思い浮かべていました