雑記5(自閉症スペクトラムってなんぞや)
日本に帰ってしばらく経ち、前より決まっていた療養をしている。まあ、療養といっても、仕事と並行して、カウンセリングにちょこまか顔を出すぐらいのことなのだが。まあなんというか気楽な身分なもんだなあ、と久しぶりの田舎の暮らしでそれなりに落ち着いている。よその国から帰ってくると、より一層こちらの呑気さにありがたみというものが湧いてくる。向こうは、あくせく常に人が動いていて、こちらの気も休まらなかった気がする。ずっと背伸びをしていたような。
本音を言えば、本当はもうちょっと何かしたかった。勧められていた療養の予定も、適当にすっぽかして、もう一度海外に行く準備を真剣に考えていた。こういうことをもっと勉強したい、というのがぼんやりと見えたというのもあるが、少しでもツテを作っておこうとコミュニケーションに難がある分際でそれなりの努力はしたので、それがふいになるのが恐かったのかもしれない。帰ってきてしばらくは、ちょっと体を休める程度のつもりにしていたし、日本に帰ってきた安心感も手伝い、快活に過ごしているつもりだった。友人と会って、ご飯を食べに行ったり、ちょっとした旅行へも行った。
しかし、そうして平穏な日々を過ごしているうちに、ふと自分の足元の不確かさに目がいった。俺は今ここで何をやっているんだ。俺はなんでこんな楽しそうなんだ。俺はこの先どうするんだ。何かがすっぽり抜け落ちるような音といっしょに、ぐらりとめまいのようなものがして、映るものの色合いが途端にモノクロに変わっていった。そうして、3日近く一室に引きこもってしまった。尋常な状態ではなかったのだと思う。元より、学校でもろくに人と会話もできなかったから、人間関係も構築できなかったし、そこから始まって軽程度の鬱のような症状はしばしば現れていたのは事実であった。しかし、今度のものは明らかに違う。思考に歯止めが効かなくなり、これまでの後悔やらが頭の中で鮮明な映像として浮かび上がり、周りにいる誰もかもが怖くなって、いつしか自分をなじる言葉が止まらなくなり、気づけばぼたぼたと汗なのか涙なのかよくわからない水が目からとめどなく出てきた。生まれてはじめてこんなにも鮮明に自死を真剣に考え、得体の知れぬものにおびえる自分が忌々しく、心から自身の存在そのものを呪った。破滅を願い続ける私のたましいはひたすら球の中をぐるぐると回り続けているようで、ただただ虚ろだった。
そして、周囲もそんな意気地ない私を見かね、病院へかかることを改めて勧められ、滔々了解するしかなかった。いくらか知識があるつもりだったし、それなりに精神障害に理解があるつもりだったが、いざ自分がその当事者になるとは思いもしなかった(いや、正しくは、そう思いたくなかったのだろう)ので、そこでまた不安妄想に襲われ、動悸が激しくなるを幾度か繰り返し、なんとか病院へ向かった。なんだか怪しい妄想ばかりが膨らんでしまったのだが、それは実際に先生にアウトすっかり吹き飛んだ。運が良かったのだろう。その日にカウンセリングを受け、診断を受けた後、2時間近くテストを行い、2週間後には自分の症状が判明した。どうやら「自閉症スペクトラム(ASD)」というものらしい。これを聞いたとき、動揺しなかった、といえばウソにはなるが(事前に自分が当てはまるかを見ても到底そこにハマるようには思えなかった)、しかし、どこか安心している私もいた。先生の言うように、今まで上手くいかないなと考えていたことがすべてこの症状のせいなんて都合の良いことはないけれど、これは病気ではなく「特性」だから時間はかかるけれども、ゆっくっり適応できるように治療しましょう、という説明だった。
「特定の音や臭いに過敏であること、人との目で見える距離感がわからなくなる、不安が胸に広がると動悸が激しくなり緊張が何時間も収まらなくなる、といったわかりやすい症状から抑えていき、徐々に身体を慣らしていくんですよ」
「へえ。そんなにうまくいくものなんですか」
「人によって、時間のかかり方が全然違いますけどね」
「でも、いずれは苦手なことも、ちゃんと向き合わなきゃダメですよね。たとえば人と面と向かって話すとか。苦痛ですけどやろうと思えばできなくもないですし、」
「いや、そんな無理はしなくてもいいですよ」
「いいんですか」
「ほら、サメっているじゃない」
「はあ」
「サメって海の中じゃ最強だけど、陸に上がるとダメでしょう。そういうことですよ」
「そういうことなんですか」
とわかったような、わからないような、絶妙なたとえ話に言いくるめられ、すっかり心が落ち着くところを見つけたような気がした。胸のつかえがとれたように感じた。
で、ここまで、わざわざ恥も外聞もなく実情をペラペラ晒しておきながら、なんなのだが、別に今ここまで気長に読んでくださっている方に同情を頂こうともくろんでいるわけではない。ただ「こういうことがあった」それだけの日記であるし、今こうして書いている現在は意外にもフラットです。むしろ、今はホッとしている。薄々分かってはいたけど、周りに流れている時間と自分のそれが合っていないことにはもっと早く気付くべきだった。こんな簡単なことが何でわかんなかったんだろう、とちょっと不思議に思ったりします。まあ、別にまだ治療の初期段階なんで、今はたまたま調子がいいから、こんなこと言ってられるだけなんですがね。
こうして、知り合いから紹介してもらった仕事を毎日3、4時間ほどやってから、余裕ができて、気分のいいときは、最近は近くのプールに泳ぎいいって、 そのまま銭湯へ向かい、サウナで整えるのが、ちょっとした日常の些細な楽しみになっている、今日にいたる。立地がいいのがうれしい。もっと気分がまともなときは、喫茶スペースのある美味しいパン屋ができていたので、そこに本を持ち込んでいったりする。いたって平穏。普通が楽しい、ということを普通に考えられるようになった、というのが最近の大きな進歩だったように思う。前はどこか普通というブラックボックスが不気味に怖かったが、今は「自分も普通なんだ」という思い込みをする方法を発見しました。思い込みも大事。
何よりも、どっこいまだ生きている。これに尽きる。
最後に、メンタル危うし!という状況のときに、心の拠り所になった本たちをいくつか羅列。あくまで私見です。
▲V・E・フランクㇽ『夜と霧』:描かれている本物の惨劇と、書かれている本物の言葉の強さにふるえる。何度も読んで、付箋とマーカーだらけになってしまったので、買い替えなければ。
▲尾崎紅葉『金色夜叉』:こんなに読ませるエンタメだったとは。昔、途中で挫折した私は阿呆だ。
▲大橋裕之『シティライツ 完全版』:行間にやられる。この人と宮崎夏次系がいてよかった。
▲遠藤周作『沈黙』:何周か回って、非常に今日的だと感じる「宗教」のあり方。
▲高野文子『ドミトリーともきんす』:手軽に、気楽に、科学の硬質でひんやりとした懐かしみに触れ合うことができる良書。三角フラスコで透かして見えた真昼の肯定とかが思い浮かぶ。
▲梨木果歩『家守綺譚』『鳥と雲と薬草袋』:花鳥風月の描写が丁寧で、外出しようという意欲がムクムク湧いてくる。インドア派をアウトドア志向に変えるバイブル。『鳥と~』は歩き回って見聞きすることが大事だと諭される気持ちで読んでいたが、ここまで鋭敏なセンサーはないなあ。
▲ミヒャエル・エンデ『モモ』:時間に対する興味が湧いた原点なのかもしれない。
▲アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』:めちゃくちゃセレクトミスだったけども、これは面白かった。不条理小説の新たな傑作と断じても問題ない。
▲岡潔、森田真生『数学する人生』:宝箱のような本。
▲堀辰雄『風立ちぬ』:こんなに文章が美しくてもいいんだろうか。夏と死の濃厚な関係性を描き切っている。
▲三島由紀夫『金閣寺』『仮面の告白』『美しい星』『女神』:絶対に精神がフワフワしているときに読むべきでない作者だと思うのだが、誘惑に駆られて読んでしまった。太陽がぎらぎら照りつきだすと、絶対的な美にすがろうとするんでしょうか。
▲小野不由美『営繕かるかや怪異譚』:怖さと懐かしさは、私にとっては同質の感覚なんだろうなあ。怪談で感じる、空間の仄暗さはとても居心地がいい。
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<おしまい>