ふしぎなwitchcraft

評論はしないです。雑談。与太話。たびたび脱線するごくごく個人的なこと。

ライアン・ジョンソン『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

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(まず断っておきたいのが、僕はこの映画に対しては賛70%、否が15%で、残りの15%はまだ自分の中で決着がつけられていない、という状態であること。これはきちんと記しておこうと思う)

 

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それはもうウキウキしながら、映画館へ駆け込んだ。予約もせずに行ったので、当日駆け込んで早めについたが、アッサリ席を確保。しかもなんとツイているのか、初日のIMAX3D(日本ではないです)で、自分以外に腰を下ろしているのは、左隣の可愛らしい老風と斜め前の家族連れ。『ジャスティス・リーグ』のときはガキンチョやカップル連れが多くて、かなり騒々しい劇場だったが、終始静かでこの上なく快適な視聴環境。上機嫌にポップコーンとナチョス(ソース付き)とコーラを買い込み、ふんぞり返りながらスター・ウォーズを満喫、ということで最上の滑り出し。もう既に料金の半分は満足してしまった 。本編が終わり、劇場を後にしようとすると、隣の老夫婦が「美しい終わりだった」としんみり語っているのが聞こえ、なんだかそれが妙な重みを帯びていた。『スター・ウォーズ』は人生なのだ。そんなことを改めて感じさせられた(「~は人生」という謳い文句は往々にして存在するのだが)。ルーク・スカイウォーカーという人生にどのように終止符を打つのか、誰もが気になっていた中、ああいう答えを出したことは少なからず、いずれ去りゆく僕らに勇気のようなものを与えてくれたはずだ。

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さて、それでは肝心の本編はどうだったのか、といえば「こんなオカズ詰め込んでよく弁当箱から出なかったね」といったところで、当初の予想通りと言えばそうだが、やはり消化不良で食べ残した点も多いし、いらなかったオカズが多いようにも、ご飯とのバランスがおかしいような感じもする。まあそれだけ思い入れがあるといえばその通りではある。

とりあえず誉めていく(上げてから下げるスタイルって卑怯なように思えるが、そこは勘弁してほしい)として、あの重たい展開でも、しっかりユーモアは残しておいて、構図も実にユニークで、ちゃんとアクションもかんばった。クライマックスの殺陣なんか芸術的と言っていい出来で。往年の黒澤明五社英雄、そして鈴木清順(『関東無宿』かな)といった古き良き日本映画マナーに則った撮影は美しく、大胆で、SW史上これまでにない高水準な出来であっただろう。今だからできる境地だったかもしれない。あの真っ赤な舞台は絶対にクロサワ『乱』だと思うのだが。

wired.jp

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どのショットも実に魅惑的で、野心的であり、インディペンデント映画の魂が宿った作りにはこれまでにない心意気が感じ取れ、シリーズの進化に感慨深い気持ちにさせられた(ただ3Dの意味はほぼなかったといっていいし、これは以降の課題になっていくだろう)。枚挙に暇がないが、ルークとレイアが再開しじっくりと見つめ合う場面は思わず泣いてしまった。破壊描写・爆発シーンも容赦がなく、なかなかにハードな撮り方をしていた。

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まさかライトセイバーがガキンチョが取り合ってパッキンしたゲームカセットみたいになるとは思いもよりませんでした。散々煽ってた「衝撃の~」がアレならちょっと面白い。

『最後のジェダイ』なんといっても最大の功績は「もう血筋とかそんなもん古臭えんだよッ!!」と呪縛から解き放ったことがなにより大きいのではないだろうか。同様の試みは既に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.2』では行われていたが、とうとうそれをスペースオペラ最大手がオフィシャルで断言してしまった。つまり、散々オタクの間で議論と考察が交わされたレイの出自が明らかになるわけだが、なんてことはない、彼女だってただの普通の人間なのだ。「選ばれし者」なんてハナからいなかったワケだ。英雄は祭り上げられるものではないし、そんなものは存在しない。すべての人が歴史の中では主役であり、『スター・ウォーズ』という物語は「遺伝子」を引き継ぐ話ではなく、「物語(ミーム)」を継承する装置なのであった。こんな普遍的で根本的なことを、ファミリー向けの映画でキッチリと提示する。ルーカスがやりたくても、やり切れなかったのはこれだったのだろう。だから、彼は今作を絶賛する立場にいる。納得である。元をたどれば、ルークだって、たまたまスカイウォーカーの血筋が流れていただけで、農家の倅に過ぎなかった。そもそも農家継ぐ気満々だったし。島(スケリッグ・マイケル!)に引きこもって、老いぼれになっても、なんだかんだ情けないんで、迷ってるところを霊体で(笑)現れたヨーダに稲妻でアッサリとジェダイの樹を燃やされ、『人間は失敗から学んでいくんやで」と諭される始末。ジェダイだって、エリートの血統主義で失敗してきたのだ。だから、ヨーダは過去を後悔し、ルークは己をフォースで解き放ち、開けた未来に引導を渡す。すごくこれまでのSWの景色とは違うものが見えてきた気がする。ここに反動が多いのも頷けるし、この呪縛から逃げ切った「神話」がどう進んでいくのか、見守っていきたい。きっとBTTF3が好きなのでしょうね、ライアン・ジョンソン

「教えを説いた弟子が師を超える。それこそがマスターの真の責任」 

今作ラストで、霊体としてカイロ・レンの目の前に現れ、ドタバタとライトセイバーを振るうのベン君を一部の隙も無く避ける、全ての束縛から解放された、あのルークは舞いのように綺麗で、熟練という言葉が似合う。最後は、一人でフォースと一体になって夕陽に融けていき、人生を閉じていく。素晴らしいフィナーレだ。あれこそ「ライフ・イズ・ビューティフル」だろう(己を消すことが美しいとされるのは幾分日本的に思えるが、アレが海外の人にも伝わっていたら嬉しい)。ルークが眼差しを向ける2つの夕陽に、人生の斜陽に思いを馳せるのだ。

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怒りん坊騎士団長、ネタにされがちですが、今作で一皮むけたオトナになれてよかったねベン・ソロ

『最後のジェダイ』実に現代的だったのが、善でも悪でもない、グレーな存在で、戦争が起こる中でああいう存在がいることを明かしたのは、批評的でよかった。レイとレンが歩んでいくこれからの道筋の指標にもなっている。

 

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と、ここからは、ダメだったポイントを羅列していく形になって、決定的にダメだったのが、「まともな判断ができる人間はどこにいるんだ?」というところで、あまりにレジスタンス側もファーストオーダー側も物事を全体から見ることができる人間がいなさすぎる。ポー・ダメロンはキャラの性質上大目に見るとして。ファーストオーダーだって、いつまでもあんな素直にレジスタンスと鬼ごっこしてたらバカみたいに見えてくる。レジスタンス側の作戦もなんと杜撰で、よく組織が持っているなと逆に感心した。一番まともなハックスも不憫なコメディキャラになってしまい、これには困ってしまった。新たに加わるローズも決して嫌いなキャラではない。『ローグ・ワン』という「何者でもない者たち」を引き継ぐ形での雄弁な代弁者として立ち上がる姿には胸が熱くなった。ただ、どうもこのキャラ、行き当たりばったりというか、行動に「?」が多い。競走馬を逃がしてしまうのだって、御都合主義だからギリ許されるものの、アレで子供たちが奴隷主によってますます酷い目に遭うのかもしれないし、あの動物だって野生に馴染めず殺処分されるのがオチかもしれない。いくら正しい行動とはいえ、もう少し配慮しろよとは思った。ローズがフィンが決意した特攻を邪魔するのも、彼が主役級で、尚且つ愛されキャラだから、助けてよかったのかなとか思えるんだけど、あんな決意した表情キメたのに、横入りして止めるのは解せない(もちろん特攻行為を称賛するものではないです)。しかも体当たりでフィンが死んでもおかしくないし。なんというか困ったキャラクターなのだ。フィンとのラブロマンスが芽生え、それを見つめるレイちゃんと、バチバチのバトルロマンスが繰り広げられていくかもしれないので、そこは期待するが。

 

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7作目公開時に限定版パンフの表紙を飾るも、すぐにゴミ箱粋という悲しい末路を辿ったキャプテン・ファズマ。『最後のジェダイ』予告であれだけこちらの期待を煽ってくれたので、さぞフィンとバチバチのバトルを繰り広げてくれるのかと思いきや、これがガッカリ。予告編以上の展開は何も起きずサクッと決着し、オイシイところは全部フィンが掻っ攫っていく。ファズマのファン(そしてGoTファン)としてこんなに惜しいことがあるだろうか。もう彼女が生き返ることもないし。ここで拗ねてしまった笑。もっと暴れさせてくれよ

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丸焼きにされてチューばっかに食べられるという食物連鎖の厳しさを身をもって教えてくれたポーグ君。頑張って生き抜いてくれたまえ。

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デザイン面も相当に物足りなかった。斬新なのはスノークの部屋くらいで、他はあまりに既視感に満ち溢れたもので、シリーズに新風を吹かせるはずのカジノの場面もなんか薄すぎる。力入れていたみたいだが、ポケモンみたいな動物群も印象に残りにくく、こちらもどこかで見た感じ。やはりこのシリーズからはかつての「こんなの初めて見る!」というフレッシュな感動を得ることは難しくなってしまったのだろう。だって世界には『ブレードランナー2049』も『エクス・マキナ』も『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』もあるのだから。

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この『最後のジェダイ』前作以上にリスキーなモノになったのかもしれない。シリーズから離れてしまうファンもいるのかもしれない。でも、マンネリの打破には確実に成功していて、これを見て新たにSWに魅入られる観客も同じくらい大勢いるはずである。今が新陳代謝のときで、大きな転換点なのだろう。

しかし、マンネリ打破には成功しつつも、今作は実は何も新しい価値観自体を提示できていない、ということが脚本のバカの露呈っぷり(失礼)以上にマズいと思える。フレッシュな価値観は一切示さず、ただただ血統を否定した。これは果たして物語として必要なのか。どうにも納得がいかず咀嚼しきれていないのが正直なところである。「神話の否定」は果たして成功しているのか。サーガへの責任放棄ではないのか。「ただの普通の人間の物語」に魅力はあるのか。それに『フォースの覚醒』から、ちっとも話は進んでおらず、この後はバカの尻拭いをさせられてしまうわけだ。これもマズいだろう。脚本としての整合性を蘇らせるために、多くの人材が骨を折らねばならないことを考えたら胸が痛むばかりである。

 

エピローグとして、付け加わる少年の姿を9作目の監督はどう引き継いでいくのか。蛇足で強引にも思えてしまったが、この映画のテーマを考えれば素晴らしいシーンではあった。キラリと光る箒は眩しい。

「神話」を解体し、新たな希望を紐解いたこの脱構築的で野心的な「問題作」は、これからどのようにして光へ導いていくのか。