はじまり、はじまり、扉が開く(『ストレンジャー・シングス』『フクロウの声が聞こえる』『ウルトラマンジード』とか)

本当と虚構が一緒にある世界で

秘密基地、トランシーバー、ワームホールパラレルワールド、ワッフル、大好きな物がそこらに転がっている。自分の世界がすべてで「無敵」だったあのとき、自転車があればどこだって行ける気がしてた。

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マツコ・デラックスもよく言う「心象風景」っていうヤツである

心が叫びたがっているんだ、とはまさに『ストレンジャー・シングス』を見終えた後のざわめきのことだったのか。思春期に入ったあたりから、冒険することに本気で突き動かされたことがなかったような気がする。それこそ長編ドラえもんのび太と鉄人兵団』以来なんじゃないか。スピルバーグの”息子”であるエイブラムスは『スーパー8』でこれをやりたかったに違いない。20局ほどに持ち込んで断られた後で実現したようで、そんな企画を安っぽさを1gも出さずに作り出せる環境を提供したNETFLIXには一生頭が上がらないな、とさえ思わされる。

すべての「子供たち」の心をさらっていった『ストレンジャー・シングス』にまんまと自分も打ちのめされてしまった。完全にダファー兄弟の掌の中だ。彼らは様々な心象風景を素材にして、巨大なノスタルジーの化物「デモゴルゴン」を想像してしまったのだ。

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スタンド・バイ・ミー』『E.T.』『グーニーズ』『ポルターガイスト』『エルム街の悪夢』『エイリアン』『ドラキュリアン』といった80年代ポップカルチャーの金字塔たちを手際よくサンプリングし、ただの懐古趣味の産物程度のオマージュのみで済まさず、礼儀正しいくらいにスマートで現代的な撮影手法を凝らし、ダファー兄弟は第2のスピルバーグとして、失われていたように思えた知恵と勇気の冒険への希望を僕らに再提示してくれた。キラキラしすぎてまぶしいくらいだ。

 村上春樹は『海辺のカフカ』で、大島というキャラクターにプラトン『饗宴』に出てくるアリストパネスを引用させ、次のように書いている

 「昔の世界は男と女ではなく、男男と男女と女女によって成立していた。つまり今の2人分の素材でひとりの人間ができていたんだ。……ところが神様が刃物を使って全員を半分に割ってしまった。……人々はあるべき残りの半身をもとめて、右往左往しながら人生を送るようになった。

 

神様のやることはだいたいにおいてよくわからないんだ。怒りっぽいし、、あまりに何というか、理想主義的な傾向があるしね。………とにかく僕が言いたいのは、人間がひとりで生きていくのはなかなか大変だということだよ

 『ストレンジャー・シングス』の登場人物はそんな「半身」たちで、右往左往して、まごついている。失踪したウィル・バイヤーズの母親であるジョイスは離婚しており、ウィルの兄であるジョナサンはだらしない父親と折り合いがつかず、学校でも居場所がない。ジムは娘を喪い、妻とも別れている。ホーキンス研究所で育ったイレヴンことエルには父親どころか家族がまるまるが不在。

(あとでやりたいからシーズン2には触れないですが、マックスというナイスなキャラが登場して、これがまた可愛いんです)

その孤独な「半身」たちが、ひとつの事件をきっかけに、あたかも家族であるかのように、時に拒みながら、必死に他者と接続しようとしていく。それは親子のような愛情であったり、かけがえのない友情であったり、恋であったり。

 

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未知との遭遇』『インディ・ジョーンズ』でもそうだが、スピルバーグはありとあらゆる作劇で、他者と他者を「疑似家族」として繋げて、孤独な魂たちが寄り添う、たったひと時のやすらぎで、僕らの心を温めてきた。

そんなかつてスピルバーグが世界に向けてやってのけた「偉業」を、現代に生きるネットで繋がったままの孤独で宙ぶらりんな無数の魂を、慈愛に満ちた家族への視線をもって、ありとあらゆるポップカルチャーの導火線でつなげ「交信」していく『ストレンジャー・シングス』に我々が敵うはずもないのだ。

ジュブナイルを懐かしむには離れすぎてしまっていたかつての子供たちに向けて、過去から届いた宝箱である。

 

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この「ストレンジャー・シングス」に連なるように、羽田に降り立ち再び現れた飛びきりのポップスターが、日本屈指の巨大な世界観を有したビッグバンドであるSEKAI NO OWARIと組んで産みだした、幸福の大きなうねりのような楽曲が『フクロウの声が聞こえる』である。

初めて聴いたとき、そのあまりの無邪気さに本当に涙が止まらなくなってしまった。ファンタジーと遊びに溢れた軽やかなポップソング(ポップオペラ?)なのに、地に足がついていて、家族と神話が共生している。ありとあらゆる二律相反をつなぎ合わせてしまう、こんな無敵な音楽があっていいのか、と戸惑ってしまった。鬱蒼と茂った森の中に集う生命たちの祝福の息吹が肌で感じられた。「裏側の世界」に想いを馳せながら、現実へ狂気スレスレの祈りを捧げている。優美なストリングスが魔法のように響き、スピーカーから木々を揺らしていく。

 いつか絶望と希望が一緒にある世界へ
渦を巻く 宇宙の力 弱き僕らの手をとり 強くなれと教えてくれる
ちゃんと食べること 眠ること 怪物を恐れずに進むこと

こんなに力強いフレーズ、聴いたことがない。このラインだけで、生活のひとつひとつを踏みしていくことの大切さ、子どもの直感を信じることの確かさ、そして「子どもであった過去」が「いま」を温め未来へ足を踏み出す勇気をくれることを教え導いてくれる。オザケンセカオワは『ストレンジャー・シングス』が描いた世界を、そのままたった5分の「魔法」に封じ込めてしまった。

 

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オザケンがニューヨークでセカオワのメンバーと遊んだ話を聴いていると、リアルに『HiGH&LOW』シリーズのmighty warriorsみたいだなあと。すげえハッピーそうだ。自分もいつかブルックリン行きたいなあ)

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ある意味当初の予想通りではあるが、想像以上にエモーショナルな作劇で、スター・ウォーズの旧三部作のような父親殺しの物語が展開される『ウルトラマンジード』のリクも、父親を欠いた孤独な少年である。ヒーローショーのドンシャインのように誰にでもヒーローの資格はあること。父であるベリアルに「あなたを超えてみせる」と変身したその姿が光と闇のフュージョンであること。未来への希望は過去にあること。大事なことがいっぱい詰まっていた。
(それにしてもあのウルトラマン兄弟の盾、豪華すぎませんか 笑)

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べボべの小出さんがインタビューで「時間は神様」だと述べていたけど、その通りだ。

過去の光を、未来にかざして、現実と虚構があるこの世界で、怪物を恐れず進むこと。忘れちゃいけないな。

時間という神様へのもとへ帰してくれるドラマに出会える時代にいる現在に祝福。

ちゃんと食べて、寝て、散歩にでも出よう。

最期にSEKAI NO OWARIRPG」から

怖くても大丈夫 僕らはもう1人じゃない

自転車と懐中電灯とトランシーバーがどこへだって行ける。

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(この稿を書いている間に『ブレードランナー2049』を見まして、これがまたパーフェクトで、実にヴィルヌーヴらしい、ヴィルヌーヴによるヴィルヌーヴの映画になっており、孤高のアート映画となっておったのですが、自分には流石に手に余りすぎるモノなので、もうちょっと文章能力がまともになって、映画の勢いが落ち着いたら、まとめてみようと思います。宇多田ヒカル『ともだち』の歌詞が頭から離れなくなる今日この頃です。一生愛せる映画だったな。とりあえずディックの原作やら週刊新潮旧約聖書特集やらケン・リュウ『紙の動物園』『母の記憶に』やら読んでおきます)

 

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アナ・デ・アルマスさん、立ち振る舞いすべてがキュートで、僕のツボである齋藤飛鳥さんや満島ひかりさん系譜のお顔立ちで、髪色も似合っていらっしゃる

 今回もまた稚拙な文章をつらつら書いてきましたが、これからもお付き合いのほどよろしくお願いします。